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自動車エンジニアになれたのは「最後まで自分を信じて諦めなかった」からそして少年は自動車エンジニアになった(挑戦編)(2/3 ページ)

自動車メーカーに勤める現役の自動車エンジニアが自身の人生を振り返る。最終回となる第3回の風雲編は、いきなりの配属変更で壁にぶち当たるところから、恩師との再合流、全社のMBD(モデルベース開発)推進統括本部での活動までを描く。

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躍進

 保守派の方々へ必要性と価値を説明する多少の時間を要し、遅れながらもVirtual Prototype Planを進捗する中で、設計部隊と実験部隊は異なる部署に存在すべきとの論調が強まり、所属しておりましたボディシステム開発グループが分断の危機を迎えることとなりました。

 新たな部長の就任を契機に、分断の動きが加速しました。

 直属の上司から部長に対して、私を設計部隊側に残す旨の打診をして頂きましたが、他の方へ示しがつかなくなるので「許せ」とのことで、結局私は実験部隊と一緒に異動することになりました。

 2010年の春。

 車両性能実験部にて新たな舞台の幕開けです。

 当時の車両性能実験部門長は、社外発表が大好きでした。

 早速、私に社外発表の指示が下り、学会への論文投稿と、その発表を担当することになりました。その年の開催場所が北海道であったことも私の背中を押しました。

 何せ人生初の北海道旅行ですから。

 発表内容は機構と制御の連成解析とし、機構部分を3Dモデルで構築しながらも超高速かつ高精度で演算できる技術を主題としました。

 この技術の適用対象として用いた事例は、パワーウィンドウのシステム開発です。

 時を同じくして、国民生活センターからパワーウィンドウ操作時の挟まれ事故を防止する指示が企業に発信されたことも何かの縁を感じております。

 この社外発表に味をしめた私は、数度に渡り論文投稿と社外発表をさせて頂きました。関係諸氏の御協力を頂きながら培わせて頂きました技術を、社内外に発信させて頂くに至ったわけです。自分のことですら精いっぱいだったのに。自身の成長を感じる瞬間でもありました。

合流

 2011年の夏。

 白井騎士さんが社内でMBDを主題とする部会を立ち上げました。

 声を掛けて頂き、発足メンバーの1人として参加させて頂けたことに今でも感謝しております。

 2013年の春。

 白井騎士さんから「MBDに関する社外の技術者達とワーキング活動をしてみるか?」と声を掛けて頂きました。もちろん喜んで御受けしました。

 参加することにはなりましたが、出張予算を確保しておらず困った事態になりました。すると白井騎士さんが「僕の出張予算を使いんさい」と予算を分けてもらえることになりました。

 これで何とか社外の技術者達とのワーキング活動に参加できるようになりました。

 2015年の初春。

 12回に及ぶワーキング活動を経て、何とか成果物も残すことができました。

 その一方で、時を同じくして社内に動きがありました。

 全社を挙げてMBDを推進するため、新たな組織が誕生したのです。

 MBD統括本部の誕生です。

 部長だった白井騎士さんが本部長に昇格され、指揮をされることになりました。

 いつの間にか……。私もMBD統括本部の一員になっていました。

 10年もの時を経て、恩師とともに新たな活路を切り開くことになったのです。

 これは運命でしょうか?

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