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生産技術者がパワートレイン開発を担当しC言語とモデル化をマスターするまでそして少年は自動車エンジニアになった(風雲編)(2/3 ページ)

自動車メーカーに勤める現役の自動車エンジニアが自身の人生を振り返る。第2回の風雲編は、生産技術者として安定したポジションを得ていたところから、望んで異動したパワートレイン開発での苦闘を描く。

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修行

 車両系の開発に異動するという一物を持って、パワートレイン系の開発へ移ったものの、待ち構えていたのはエンジンの単体性能を評価し調整する“修行”です。

  • エンジンとはどういった特性をもっているのか
  • どのような制御によって性能を引き出しているのか
  • 排気ガス規制

など、どのような規制が取り巻いているのか、これらを理解し習得することを目的とした研修が始まりました。

 3カ月間に及ぶ研修中、毎日油まみれになりました。火傷をしそうになったり、指をつぶしそうになったりと危険な目にもあいました。その都度、怒られたことをよく覚えています。

 正直なところ「なんで、こんなことをしなければならないのか分からんわ」と思ってしまったことが多々ありました。「自分がやりたいことは、これじゃない」というわがままが顔を出しそうになる度に、妻と子どもの顔を思い出してはこらえる日々でもありました。

 研修期間も残すところ1週間となった時、新たな上司から研修のまとめを作るように指示を頂きました。

 新たな上司とは、現在の上司でもある白井騎士本部長です。

 まとめの資料を作るためにPCの画面に向かった瞬間、シナリオが頭に浮かびました。

 これには自分でも驚きでした。

 つらいばかりだと思えた研修カリキュラムが、実は巧妙に仕組まれた人材育成のシナリオによるものであったと気付きました。

 直近から将来にわたり、任せたい仕事の目的と目標を明らかとし、不足している知識を効率的に充当するため、必要な経験を積ませていたのです。座学だけでは理解が捗らなかったと思いますし、体験と併せ行うことでより深く理解できていました。

 そのおかげで、スラスラと、あっという間に資料の青写真が完成したのです。

 そうです。

 エンジンに対してずぶのド素人であった私が素人レベルに成長していたのです。

 さらには、頭の中では分かったつもりになっていた事柄を活字にする際に、何度も言葉に詰まってしまう事態になり、打開するため何度も現場に出向いては、現物を確認したり、現場の先輩に教えて頂きました。しかし、研修中に培った人脈が最大限の効果を発揮してくれました。「まぁお前だから見せてやるか」「お前だから教えてやるか」などなどです。

 この人脈こそが最大の財産になることを、後で痛感することになります。

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