生産技術者がパワートレイン開発を担当しC言語とモデル化をマスターするまで:そして少年は自動車エンジニアになった(風雲編)(1/3 ページ)
自動車メーカーに勤める現役の自動車エンジニアが自身の人生を振り返る。第2回の風雲編は、生産技術者として安定したポジションを得ていたところから、望んで異動したパワートレイン開発での苦闘を描く。
波乱
車両生産技術部への移動から、早いもので手掛けた開発車両も18車種を超えていました。
モノづくりの志は堅持し、目標達成に向けて、足を運び頭を下げて必要な情報を集めては、1つ1つの情報を整理しながら戦略を立て実践し、つまずいては再度足を運び頭を下げて必要な情報を集めて再度整理し戦略を立直し、再度実践を繰り返す日々が続いておりました。
気が付けば、終電に何とか間に合う時間が私の定時になっていました。
そのような日々を過ごす中で、私を生産技術に引き上げて下さった課長も定年退職されました。
そして、新たな欲が芽生えて来ました。
「さらに良い車をつくるには、生産技術から設計者への修正指示だけでは難しい。よし、設計者になろう」
今から思えば、とんだ勘違い野郎です。完全に慢心しておりました。
思うが早いか行うが早いかの私ですので、早速のこと課長に直談判をしました。
「開発に行かせてくれ」、と……。
バカでしょう?
幸か不幸か、時を同じくして開発が人材を募集しておりました。
しかし募集していたのはパワートレイン系でした。
直談判した課長から提示された条件は「パワートレイン系の開発になら行かせてやる」です。
その理由は、「既に熟知している車両系の開発に行っても人材としての成長の余地は無いが、全く無知の領域となるパワートレイン系に行けば成長が期待できる」だからだそうです。
私は皮算用をしました。
「生産技術から開発への異動は難しいが、開発内での異動なら比較的容易なハズ」
つまり、いったんはパワートレイン系の開発へ移動して、その直後に車両系の開発へ異動しようと考えたのです。
浅はかでしょう?
2000年の春。
パワートレイン系の開発への移動が決定しました。
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