UMLやSysMLを活用できないエンジニアのための実践的活用術(後編):プロジェクトを成功させるモデリングの極意(2)(2/3 ページ)
前編では「モデル」の目的とその効果、具体的なモデル手法について代表的なものを説明しましたが、後編ではその手法を実践するツールを紹介します。
モデリングの歴史〜モデリングのトレンド紹介
- フローチャートの夜明け
ここではモデリングの歴史を見ていきます。
その昔、FORTRANが自動プログラミングといわれていた時代、計算機の使用は貴重なものでした。机上で設計を行い、プログラム用紙にプログラムを書き、コーダーが紙カードか紙テープに打ち込んでいました。デバッグも机上で行う時代でした。このときモデリングはフローチャート用定規でフローチャートを手書きしていました。データモデリングは概要レベルであっても、物理マッピングできるぐらいの量を対象にしていました。
関数(サブルーチン、プロシージャ、モジュール)単位のフローチャートはB5かA4用紙で描き、全体の概要レベルのフローチャートはA3用紙で描いていましたが、フローチャートでは面積が大きくなりがちでしたので、各社がコンパクトに描けるように、フローチャートを改良しました。電電公社(現NTT)のHCPや日立製作所のPAD、NECのSPD、富士通のYACなどが出てきました。この時代にデータモデリングとしてDFDも登場しました。
- オブジェクトモデリング戦国時代
次の大きな時代の流れとしては、1980年の「SmallTalk-80」に端を発するオブジェクト指向プログラミングがあります。これはモデリングの世界にも大きな影響を与えました。UMLによってオブジェクト指向モデリングが統一されるまで、いろいろなモデリングが提案されました。
クラスの表記を丸にするのか四角にするのか、親クラスと子クラスの矢印の向きはどうするのかなどを議論の前にあらかじめ決めておく必要があったぐらい、乱れていた時代でした。UMLの3大メソロジスト(グラディ・ブーチ、イヴァー・ヤコブソン、ジェームズ・ランボー)も各自のモデリング手法を提案していました。ブーチ法(ブーチ)やOOSE法(ヤコブソン)、OMT法(ランボー)、シュレィアー・メラー法などが乱立しました。
- UML 大統一時代
次の時代はUMLの登場になります。3大メソロジストが1994年にRationalを設立し、複数のモデリング手法がUMLとして統一されました。この統一でUMLの欠点となる膨大な仕様が誕生したことは後述します。その後、1997年にUML1.1がOMG(Object Management Group)で承認され、事実上の業界標準になります。
データモデリングの世界ではデータフロー図に加え、E-R図も使われ出します。E-R図そのものは1970年代に発表されていましたが、特に RDBの普及とともに流行するようになります。
一方、ザックマンが1980年代後半から1990年代に掛けてEAを発表したモデリングのフレームワークが日本では2000年前半ぐらいから流行するようになります。モデルの表記はUMLやワークフロー図、またはEA独自の図で行うものでした。
- ポストUML時代
21世紀に入ると UMLが使いにくくシステム工学向きでないことから、システム工学向きのモデリングとして、SysMLがOMGから発表されました。その後、SysMLは組み込み系ソフトウェア開発では少しずつ普及してきています。一方、UMLは2.0となって以降は「MDD」(Model Driven Development:モデル駆動開発)の要素を強めていくことになります。
最近はモデルベース開発(MBD:Model Base Development)が組み込み系開発で流行の兆しを見せており、IPA/SEC(情報処理推進機構 ソフトウェア高信頼化センター)でもMBDによる故障原因診断手法を啓発しています。またツール巡りの節で紹介したようSysMLをサポートするツールも増加しており、SysMLも普及が加速する傾向にあります。さらに2015年はUML2.5の正式版が公開されています。
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