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鯖江から世界に飛び出す“かっこいい老眼鏡”、自社ブランドで起こした革新のカギ【後編】zenmono通信(2/3 ページ)

モノづくり特化型クラウドファンディングサイト「zenmono」から、モノづくりのヒントが満載のトピックスを紹介する「zenmono通信」。前編に引き続き、今回も西村プレシジョンの西村昭宏氏の話をお伝えする。

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最初に決めたビジョンとミッションを全ての指針に

 enmono ブランドを認知してもらうための手段に対しては、どういう戦略を考えていたのでしょうか。広告を打つとかいろいろな方法がありますよね。

西村氏 とにかくプロモーションにはお金をかけず、グッドデザイン賞の受賞であったり、テレビの放送・取材を利用したりといった方法で認知度を上げていきました。われわれにとってはいかにお金を掛けずに認知を広め、同時にブランドとしての信用力をあげていくのかという部分がすごく重要でした。でもブランドの認知と信用力をあげていく活動は、モノづくりをするのと同じくらいすごく手間が掛かるといいますか、力が必要になりますね。

 でもこういう手間って、西村金属という名もない地方の町工場が日本全国から仕事を取っていく中で既に経験したんですよね。その当時も「西村金属に技術はある。では何が足りないのか」って考えた時に、やっぱり必要なのは信用力と認知力だと感じました。この2つは両輪なんですよね。

enmono 西村プレシジョンはちょっとしたチラシでも作り込んでいて、やっぱりそこは1つの方針として軸が通っているんだなと思いました。

西村氏 そうですね。チラシに関しても社内で製作することを大事にしていますし、キャッチコピー何かも基本的には自分で考えて、最終的に誰かにリライトしてもらうという形でやっています。販路については先ほど紹介したように、われわれはペーパーグラスを世界中に届けるんだという方針で活動しています。

 こうした目標を掲げていても、自社の販路だけは到底世界中に届けることはできません。ですから国内では既存の眼鏡小売店や百貨店、ミュージアムショップ、海外には代理店を通じて届けています。自分たちだけの販路で、自力で販売するんだとこだわってしまったら、結局世界に届けるという思いは達成できないわけです。


10年後のあるべき姿とビジョンを明確に

地元を土台に世界へ

enmono やっぱり最初に決めたビジョンやミッションが全ての行動の指針になっているんですね。海外での認知度拡大についてはどういう取り組みをしているのでしょうか。

西村氏 1年前くらいから各国1代理店という方式を採っています。展示会をメインに代理店・パートナー探しをして、代理店経由で世界中に広めていくという活動をしています。今、海外の代理店を通して8カ国10地域にペーパーグラスを出荷しています。2014年はほとんど日本にいませんでした。

enmono 世界的なブランドを目指すというのは多くの企業がいいますけど、地元に愛されながら世界一を目指しているのが西村プレシジョンの大きなポイントだと思います。地元が土台になっている。

西村氏 そうですね。土台がしっかりしてないと、外に出てコケたらもう終わりじゃないですか。コケても地元だけで生きていけるんだみたいな、そういう土台作りっていうのはすごく重要だなと思います。

 そのためには目に見える行動を起こさなくてはいけない。われわれだったら「第1号店は福井の駅前に出店した」というこうした実際の行動が伝わっていくんじゃないかなと思っています。それを口だけで言ってもダメだし、実際の行動が伴ってこそ言葉に重みが出てエンドユーザーさんにキチッと伝わると考えています。

 ブランドがどこを目指したいのか、その製品で社会に対してどういう影響を与えていくのかというのをキチッと明確にすることで、迷った時の判断がすごく楽になるんですよね。その時の判断が少しズレていようが構わないんですよ。それはまた方向修正しながら、最終的に目指すところに行き着けばそれでいいと思う。

 でも自分たちが目指すところがないと判断がブレてしまって、実は反対方向を向いていたということになりかねないし、ただ作っただけで終わってしまうと思う。自社ブランドや自社製品を作るのはいいんだけど、作ることを最終地点にするのではなく、まず目指すべきところを決めて欲しいというのは思いますね。

enmono いつごろからそういった考え方を持っていたんでしょうか。結構若い頃からですか。

西村氏 僕は学生時代バックパッカーだったんです。放浪の旅に出ていて、2001年、21世紀の初日の出はネパールでシェルパと一緒に見ました。若い頃から世界中の人たちと交流するなかで、今の日本に対する郷土愛というものがすくすくと育っていったんじゃないかなと思います。それがあって、今こうして地域のため、鯖江、そして日本のために自分はどういうことをやっていくべきなのかと考える意識が、若い頃から育ったのではないかなと思います。

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