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“学ぶ姿勢”ではいけない。インスピレーションでドライブする構造に――JAXAシニアフェロー 川口淳一郎教授著名人キャリアインタビュー(1/3 ページ)

2010年、科学技術分野の国家予算にも容赦なく事業仕分けのメスが入る中、小惑星探査機「はやぶさ」が苦難の末に地球へ戻ってきたという知らせに、胸を躍らせた人も多いことだろう。そのはやぶさのプロジェクトマネージャとして脚光を浴びたのが川口淳一郎教授。多くの理系人が一度は夢見たであろう宇宙開発という仕事で成功を収めた川口教授は、どのようなキャリアを歩んできたのだろうか。川口教授が宇宙開発を選ぶまでの経緯、そしてこれから自身のキャリアを決めていくことになる理系学生に向けてのメッセージを聞いた。

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本記事は理系学生向けの就職情報誌「理系ナビ」2011年夏号の記事に加筆・修正して転載しています。



望遠鏡に興味はあったが、「天文少年ではなかった」少年時代

 2010年6月、日本の理系を勇気付けるニュースが飛び込んできた。小惑星探査機「はやぶさ」の帰還。地球重力圏外の小惑星に着陸した後、地球まで物質サンプルを持ち帰るという世界初の快挙を成し遂げたのだ。

 このはやぶさのミッションを、プロジェクトマネージャとして統括したのが独立行政法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の川口淳一郎教授。1955年に生まれた川口教授は「私の世代はみんなアポロ世代」と語るように、69年のアポロ11号による月面着陸、70年の日本初となる人工衛星「おおすみ」の打ち上げなどをリアルタイムで経験。宇宙開発に興味を持つようになったのはごく自然な流れだった。

 ただ、幼いころの川口教授は宇宙開発には興味があっても、「天文少年ではなかった」という。望遠鏡で星を眺めることに興味があったわけではなく、むしろ宇宙の不思議を調べるために望遠鏡を組み立てることに興味があったそうだ。

「目で見えて面白い」 研究テーマは自動制御

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 「どうすれば目的地まで飛ばせるのか、木星や土星周辺のどこを通すのか、自動で着陸をして自動で調査をするためにはどうすればいいのか。宇宙開発は並大抵のことではありません。

 それこそが知りたいことだし、やりたいこと。僕は宇宙開発をやっていますが、その半分はロケットの開発に携わっていますから」

 そんな川口教授が、大学時代に研究テーマとしたのは“ロボット”。京都大学工学部機械工学科に入り、自動制御について研究した。以後、現在に至るまで、自動制御を自身の専門分野としている。

 「ロボットは目で見えて、直接驚きをもって接するものですよね。

 目に見えない化学などの研究も重要ですよ。けれど、自動で何かが動いて何らかの結果が出る。目に見えて分かるものの方が僕には面白くて、興味を持っていました」

 だが、今でこそ宇宙開発に携わる川口教授も、「宇宙開発を仕事にしよう」と意識するようになったのは、大学院に入ってからなのだとか。アメリカと比べてしまうと、日本の宇宙開発はあまりにも水をあけられていた。しかもスペースシャトルが登場間近で、ロケットが消えてもおかしくないと思われていたころ。日本の宇宙開発はどうなるか先行きが不透明な状況だったという。

 そんな厳しい状況下ではあったが、一方でハレー彗星探査の計画が立ち上がっていた。「惑星探査には触ってみたいと思っていました。そこに触らないと面白くない。『宇宙開発はなくなるかもしれないけど、数年間はとにかくやってみよう』。そう思い立ったのが経緯ですね」

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