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不況に負けず! 発展し続ける岡山の3つの中小企業大学教員は見た! ニッポンの中小企業事情(1)(1/2 ページ)

今回は経営環境の変化に柔軟に対応している岡山県内の中小企業を紹介。「顧客から誘われた」「経営書を読んでいたら不安になった」など奮い立ったきっかけはさまざま。

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1.はじめに

 「世界に誇れる日本のモノづくり」、そんな言葉をよく耳にします。中小企業は「製造業の国際競争力の基盤」と捉えられ、日本のモノづくりの土台を支えているとされてきました。

 現在、その多くは「大手企業の海外生産展開」「アジア諸国・地域の製造業の発展」といった経営環境の急激な変化に直面しています。廃業を余儀なくされる企業が多数ある一方、幾つかの企業は変化に柔軟に対応することで、事業の継続と発展を成し遂げるのに成功しているのです。筆者は、以前は政府系シンクタンクの研究員として、現在は東京の私立大学で中小企業経営論担当の大学教員として、さまざまな地域の中小企業を訪問し、その“変化しようとする姿”を目撃しています。本連載を通じて、国内中小企業の“今”と“これから”を報告できればいいなと考えています。

 第1回は岡山県の中小企業を取り上げてみたいと思います。

2.地域とつながりながら新事業創出――コアテック・協和ファインテック

 岡山県は、北部は中国山地、南部は瀬戸内海に面していて、「晴れの国」と呼ばれるように晴天の日が多いといわれます。桃太郎伝説の起源とされる吉備津彦命(きびつひこのみこと)の鬼退治でも有名です。このように、観光や文化、桃太郎伝説と関わりの深い桃や吉備(黍:きび)団子、果物や食品でその名を全国に知らしめています。


岡山駅にて

 一方、中国地方の製造業といえば、一般的には隣りの広島県の自動車産業が著名でしょう。ところがどっこい、岡山県にも優れたモノづくり企業が集積しています。繊維などの伝統産業、はたまた造船、自動車、農業機械、電子機械といった機械製造業が岡山経済をけん引してきた歴史があります。その中で、数多くの中小企業が生まれ、地域と関わりながら、県外・国外からの需要を呼び込んだり、新市場に参入したりしているのです。

コアテック

 岡山県にはかつて、特許申請や開発事業を手掛ける財団法人岡山地方発明センターという組織がありました。岡山県の企業有志によって、1961年に設立されたのですが、およそ10年後の1972年に閉鎖の憂き目を見ます。そのとき、発明センターの事業部門を従業員が引き継ぐ形で創業されたのが、コアテック(従業員数201人、岡山県総社市)でした。

 コアテックは切削専用機やリークテスター、組立機、溶接機・検査機といった専用機の開発・生産を手掛け、事業を拡大しています。現在は国内・海外の大手自動車企業、自動車部品企業、農業機械企業、大学といった岡山県外の多様な顧客と取引しているのです。

 こうした活力の源となっているのが、設計部門でしょう。従業員数201人のうち、およそ70人が岡山大学や岡山理科大学など、地元の著名な工学系大学出身の設計者によって占められているのがその証拠。

 彼らは「一人一台体制」で、特定の顧客・専用機を担当しながら、顧客の製造現場に足しげく通い、

「現場で、どういった人間が、どのように使うのか」

といったことを深く理解し、切削機なら切削機、溶接機なら溶接機を開発していくのです。例えば、設計者は顧客の製造現場に3カ月間ずっと張り付くこともあるそうです。設計者自らが顧客の現場とつながり、営業担当としての役割も果たすことで、さまざまな業種の顧客との取引を可能にしているのです。


自動車のエンジン・ミッション部品を加工・組立するラインで使用される全自動装置(コアテックのWebサイトより)

設計部門に人的資源の多くが集結する

 なお、発明センターに由来する先取の精神で、廃業を選択した地域の企業の事業・従業員を吸収し、新たな事業や顧客も獲得しています。その結果、大手自動車企業と取引を開始したり、溶接機械を手掛け始めたり、2010年には岡山県のあるベンチャー企業を吸収し、新たに画像検査用のラインカメラ事業も発足させるといったことを実現してきました。コアテックでは地域の人材を積極的に活用し、また地域で生まれた事業を発展させることで、岡山県外から需要を呼び込んでいるといえるでしょう。

協和ファインテック

 新市場への参入といった点では、協和ファインテック(従業員数160人、岡山市)の事例も興味深いものがあります。同社は繊維産業と関わりが深く、化学合成繊維用の製造機器や紡糸用精密ギアポンプを手掛けています。

 1955年に先代社長が山口県で創業し、2001年には、当時の主力の顧客だった大手繊維企業が岡山市に工場を設立したことを受け、岡山に工場を設立しました。

 徐々に国内繊維産業・市場が縮小する中、先述の主力顧客に誘われる形で、透析器や輸液ポンプといった医療機器の開発・参入を企図したのです。もともと、繊維関係のプラントを輸出していたこともあり、関連する要素技術が社内に存在していたことが幸いしました。

 2代目の現社長 橋本明典氏はドイツの医療現場に視察に行ったり、ベトナムの病院に臨床実験を委託してもらったりなど、グローバルな市場を見据えながら、医療機器を開発していきます。2005年ごろからインドネシアやマレーシア、サウジアラビアといった国々の病院に同社製品を供給できるようになっていったのです。

 月産10台、20台、100台……と増えていき、現在では中南米向けを含め月産150台(日産7台)までその生産量を増加させています。売り上げ全体に占める医療機器の割合は現在、20%を占めるまでに至っているとのことです。

 協和ファインテックは、岡山大学や岡山理科大学との積極的な共同研究開発により、自社の研究開発能力を構築していきました。今では、岡山大学のインキュベーション・センターに、博士号取得者・取得候補者を7人抱える開発部門も有します。


協和ファインテックの製造現場

数多くの医療機器を生産する

 このように、岡山県内には地域と密接に結び付く優れた中小企業が幾つも操業しているのです。最後に、ユーザー産業の変化に柔軟に対応した企業の事例として、中原製作所の取り組みを紹介します。

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