矢崎総業がストライキから学んだこと――現地化と新しい経営スタイルの模索:井上久男の「ある視点」(10)(2/3 ページ)
2010年ごろから盛んになった中国国内の労働争議。良好な労務管理が評価される矢崎総業も例外ではなかった。同社がストライキから学んだこととは?
1年間で従業員の半数が入れ替わる!
「対人温柔」政策の背景には、中国の深刻な労働力不足がある。杉山氏は「いまの従業員はインターネットや携帯で情報交換して、賃金が少しでも高い条件の企業があると、いくら福利厚生を充実させても転職します。しかし、逆に福利厚生が悪いと、辞める人はさらに増えます」と苦しい胸の内を打ち明ける。
FSYでは毎月120人近くが退職する。退職率は4%で、従業員の約半数が1年間で入れ替わる計算になる。このため、日本では1人の従業員に多くの作業を受け持たせる「屋台方式」を実施しているが、FSYでは逆の発想で、仕事を分散化させ、退職者が出ても代わりに入ってきた新人を短期間で習熟させて生産ラインに影響が少ないようにしている。
これでも周辺の企業に比べたら退職率は低い方だという。仕事ができる人は早く組長や班長などの管理職に昇格させ、手当を厚くして定着率の向上も目指している。
従業員を甘やかすわけではなく、しつけ教育は徹底し、あいさつを推奨している。杉山氏自ら率先垂範で就業前の朝6:45〜8:00まで工場の入り口に立ち、あいさつをする。従業員に対し、仲間としての敬意を払う意味もある。
きめ細かな労務管理でもストライキは止められない
工場の稼働時から5年近く掛けてやっと、中国人労働者の心をつかみ、同じ釜の飯を食う仲間として仕事に取り組めると思い始めた矢先の2010年12月16日、FSYでもストライキが発生した。矢崎本社では「あれだけきめ細かに労務管理の取り組んでいるFSYでもストライキが起こるのか」といった衝撃が走った。
ストライキの主な原因は、給与計算方式の変更に伴い、給料が減ると誤解した組長が仲間を扇動したことによるものだった。製造部の従業員約900人がストライキに参加した。杉山氏は交渉の矢面に立ち、ストライキ参加者からの要求を聞き出し、賃上げを文書で回答し、行政からのアドバイスも受けてストライキを1日で収束させた。
「日本人トップは交渉の矢面に立ってはいけないことが大原則となっているが、他人に任せられなかった。たまたまかもしれないが、鉄則を覆したことがよかった」と杉山氏は振り返る。地元行政も「1日で収束させたストライキ対応のモデルケースとして中央政府に報告した」という。
ストライキの原因を調べていくうちに、隠れた首謀者がいることが分かった。中国でのストライキでは、一握りの策略家が陰で指揮を取り、経営側の交渉相手を不明確にすることで、経営側を翻弄(ほんろう)し、揺さぶってくる構図の場合が多い。その首謀者をあぶり出し、雇用契約(3年間)の終了後、再更新しないことを告げた。中国では採用後、3年の雇用契約を2回更新する過程を経て7年目以降に終身雇用になる法律がある。FSYの対応は合法的である。
2011年3月、首謀者を再雇用しないことに対して、ストライキ参会者の一部である約70人が会社に抗議してきたが、そうした行動は会社のためにも自分のためにもならないことを説き、沈静化させた。結果として、真の首謀者を排除したことが奏功した。
杉山氏は従業員とのコミュニケーションを積極的に図り、福利厚生の向上施策などに取り組んできたのにストライキが発生したことにショックを受けた。「気持ちの整理が付かずに毎日行っていた朝のあいさつを止めました」。しかし、一部の現地従業員から「朝、杉山さんとあいさつを交わせないのが寂しい」とのメールをもらい、復活させた。
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