リーマンショック後に、受注量70%ダウン
川嶋成樹氏が社長を務めるミサト工業は自動車向けの小物の量産部品を中心に製造を行ってきた自動車部品メーカーの下請けでした。
しかし、2008年10月のリーマンブラザーズショックを契機に、徐々に量産案件の受注が激減し、一時は最盛期の70%までダウンするという危機的な状況となりました。
その3カ月後である2009年3月、川嶋氏の弟さんの紹介で偶然に、岐阜県関市の道家剛史氏(ゴーテック)と出会います。道家氏は、非常に限られた予算内で、自分たちが望む製品が量産できる鍛造工場を探していたところでした。ミサト工業は鍛造による量産とその後の販売に携わる形でNOOKに参画しました。
道家氏は、岐阜市のデザイナー鷲見栄児氏(デザインウォーター)と共に、オリジナルブランドの毛抜きであるNOOKの企画・開発に取り組んでいました。試作を繰り返すうちに、デザイン通りの形状を低コストで生産するためには鍛造が適していることが分かってきたのだそうです。そしてNOOKを作る全行程は、13工程とかなり手が掛かるものとなりました。ただ、量産を立ち上げようとする頃には、道家氏(ゴーテック)の資金はだいぶ底をついていたのです。
たった3カ月後の2009年6月にはミサト工業での鍛造が量産体制として成功し、NOOKの量産をスタートできる体制となりました。
インタビューした際、「ずいぶん、早く量産体制をスタートできたのですね」という問いかけに対して川嶋氏は「当時、量産の仕事がなくて、暇だったから……」とおっしゃっていました。
その言葉を理解すれば、リーマンショックが、これまでのミサト工業さんに与えた影響がそれほど大きかったということでしょう。
「道なき道を行く」と航空自衛隊の経験
川嶋氏は中学卒業後、航空自衛隊の下士官養成専門学校に入隊して、厳しい4年間の訓練生活を送ります。その後、航空自衛隊のパイロットを目指して、2年間トライした後、地元に戻り、実家のミサト工業に入社して、これまでどちらかとマニュアル(手動)中心だった生産ラインに、NC加工機などの自動機を追加しながら、少しずつ自社の生産量を増やしていきました。その矢先に、2008年のリーマンショックが襲いました。
インタビューを通じて川嶋氏とお話をしたとき、飲み込みが非常に早く、そして従来の製造業の枠を超えた非常に柔軟な発想の持ち主だと思いました。柔軟な発想は、マイクロモノづくりを行っている経営者の方が共通して持っている素質ではあります。
これは私の勝手な解釈ですが……、川嶋氏が若い時代に、航空自衛隊学校でたたきこまれた「自分で考えて、自分で行動する」という考え方のベースが、今回の事例に最大限生かされているように感じます。マイクロモノづくりも「道無き道を自分で作り出す」という非常にクリエイティブな作業だからです。
製造業としてこれまで培ってきた「モノづくり」の発想以外にも、実にさまざまな情報を自ら収集して分析し、そこから短時間で物事を判断して実行に移す必要があります。
この情報収集と分析力、行動力が、わずか3カ月での量産体制の立ち上げに結び付いたのだと私は考えています。
モノづくり工程の全てが頭にあるMD
販路開拓について尋ねたところ、Webでの販売を行いつつも、やはり数量を出すためには、“足の営業”を小まめに行って、きちんと販売ルートを作らなければならないとのことを述べていました。そのためには、製品の開発前から、商社や代理店に落ちるマージンをきちんと計算した上で、原価と販売価格を設定したモノづくりが必要になると。
またWebも含めた複数の媒体に広告を出しながら、どの媒体が最も反応があるのかも慎重に見極めたとのことです。美容師さん経由での口コミなどで販売数が伸びるだろうと考えていたので、美容師さんが読みそうな紙媒体、主にフリーペーパーを中心に媒体を絞り込んで、継続的に広告を掲載しているということでした。
このあたりの発想は、恐らく、単純に企業向けの部品販売を行ってきた製造業ではなかなか出てこないところだと私は思います。川嶋氏とお話をしていると、まるで、その販路開拓に関しての深い知識から、開拓手法についての考え方から、メーカーのMD(マーチャンダイザー:商品化計画や仕入れのプロ)と話をしているような印象を受けました。「これまで製造業しかしてこなかった」という言葉が信じられないほど、販路開拓の専門家のような物腰で、ロジカルなものの進め方をしているからです。
しかも、単純なMDではありません。モノづくりの工程が全て頭に入っているMDですから、顧客ニーズと製品開発を直結して1人でこなしてしまうので、その分、普通のメーカーと比べると素早い動きが展開できるのです。
確かに、プロジェクトをスタートした時点では、一般の製品の販売方法を考えるためには、どのような方法があるのかということは、全く知識がなかったし、商品の性質を伝えるためのキャッチコピーもうまく出来なかったと川嶋氏は言います。
しかしその後、商工会などで開催される異業種交流会や、セミナーに積極参加し、コンシューマー向けの販売経験にある方などとの交流を深めながら、ひたすら人と会って、尋ねて、販路開拓の方法を学んでいったそうです。
裏を返せば、自社製品開発と販売を始めてから1、2年の経験が、これまでに経験されたことがない、販路を作るという、ある種のクリエイティブな活動であったのであろうと思われます。
しかし、そんな川嶋氏に他の中小製造業がマイクロモノづくりをおこなう際のポイントに関してうかがったところ、「よほど販路がしっかりしていないと、うかつに製品は作ることはおすすめ出来ない」というコメントをいただきました。それだけ販路の重要性を認識しているから出る言葉なのだと感じました。
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