セイコーグループはなぜ銀座の一等地にミュージアムを構えたのか:モノづくりショールーム探訪(1/2 ページ)
セイコーグループが2020年に銀座でリニューアルオープンした時計の博物館「セイコーミュージアム銀座」が人気を集めている。セイコーグループ セイコーミュージアム銀座 主査の中原雄毅氏と学芸員の小池京子氏に話を聞いた。
セイコーグループが2020年に銀座でリニューアルオープンした時計の博物館「セイコーミュージアム銀座」(東京都中央区)が人気を集めている。オープン直後こそコロナ禍の影響で来館者が少なかったものの、2023年度には移転前の来館者数を上回り、「グランドセイコーミュージアム」を新設した2024年度には5万人を超えた。
セイコーグループ セイコーミュージアム銀座 主査の中原雄毅氏と学芸員の小池京子氏(写真)に、移転の経緯やミュージアムの目的、展示内容について話を聞いた。
銀座はセイコーグループにとって特別な土地
セイコーミュージアム銀座は、銀座4丁目の並木通りに位置する(図1)。高級時計店が並ぶこの通りは“時計通り”とも呼ばれる。ミュージアムでは古今東西の時計や関連資料を収集、展示しており、和時計の収蔵数も国内有数だ。
「当館は時と時計に関する調査研究を行うとともに、セイコーグループの製品史も紹介するミュージアムです。腕時計だけでなく、からくり時計や置時計、スポーツ計時機器なども展示しており、セイコーグループが精度を追求してきた歴史や、時代に応じた時計を開発してきた歴史を学んでいただける場所です」と小池氏は説明する。
セイコーミュージアムは以前は墨田区にあったが、銀座へ移転した理由について中原氏は、「セイコーグループにとって銀座は特別な土地。ここを拠点にセイコーグループの歴史を発信したいという思いがありました」と話す。銀座はセイコーグループの創業者である服部金太郎氏が生まれ育ち、起業したゆかりのある土地だ。また同社の時計ブランド「グランドセイコー」のフラグシップブティック、セイコードリームスクエア、銀座のシンボルであるセイコーハウス銀座(旧和光本館)、セイコーウオッチ本社など関連施設が集まっている。
移転した効果として「さまざまな関係施設と連携できることは大きいです。和光などで製品を購入された方が紹介で来館されることもありますし、グランドセイコーの復刻モデルのオリジナルを見たいという方も多いです。ミュージアムで多くの方と接していると、移転してよかったと思うことが多いですね」と中原氏は語る。
現在は海外からの来館者が増えており、2024年度は半数以上が外国人だったという。土地柄もあるが、「グランドセイコーの知名度が上がっていることも大きい」と中原氏は言う。
2000年代半ばから本格的にグランドセイコーのマーケティングを開始し、現在では国内の若年層や海外での評価が高まっている。近年は時計界のアカデミー賞とも呼ばれる「ジュネーブ時計グランプリ」での受賞実績も重ねている。「日本人独自の審美眼を反映した製品として、評価してくださる方が増えてきたと考えています」(中原氏)。
セイコー以前の時と時計の歴史を紹介
セイコーミュージアム銀座では、時計の歴史からひもといているのが特徴だ。3階の展示「自然が伝える時間から人がつくる時間」では、セイコーグループ以前の時計の歴史を紹介している。日時計に始まり、水時計、燃焼時計、砂時計などが紹介されている。機械式時計の多くは動態展示されており、脱進機のコチコチという音が響いている(図2)。
このフロアでは機械式時計の進化の過程もよく分かる。1300年頃に欧州で登場した機械式時計の調速機は、ひもでつるされた棒テンプで、動力源は重錘だった。その後、調速機は振り子や円テンプ、動力源はゼンマイへと変化し、高精度化と小型化が進んだ。
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