歴史でひもとく機械ビジネス〜“産業革命”の中で機械はいかに進化を遂げたか:ディープな「機械ビジネス」の世界(1)(1/2 ページ)
本連載では、産業ジャーナリストの那須直美氏が、工作機械からロボット、建機、宇宙開発までディープな機械ビジネスの世界とその可能性を紹介する。今回は、第1次から第4次までの産業革命を中心に、機械の発展の歴史をひもとく。
人類が長い歴史の中で培った能力の一つに生産活動があります。日本では、約3万年前の旧石器時代に稲作が始まったといわれていますが、その後、能率よく作業/収穫するための道具が考案されました。
人類には大昔から「能率の悪いことは面倒くさい」という感覚があり、この感覚が文明を加速させ、環境に適応しながら道具を進化させて生活を豊かにしてきたのではないかと考えています。
その後、道具は飛躍的に進化していきます。現代では、スマートフォンやデジタル家電をはじめ、自動車、新幹線、航空機などの輸送機械や、インフラ整備を担う建設機械、衛星通信技術を搭載した人工衛星やロケットに至るまで発展しました。
この記事では、第1次から第4次までの産業革命を中心に、機械ビジネスの発展を簡単に振り返ります。
産業革命と機械の発展
何かしらの道具を作るには、それらを製造するための機械が必要です。特に、機械を作る機械は「マザーマシン(母なる機械)」と呼ばれ、ありとあらゆる分野に貢献しています。
機械は生産性の向上に必要不可欠であり、その進化は製品開発の可能性を大きく広げ、さまざまな産業の底力となっています。
工業の歴史を簡単に振り返ってみると、技術発展の連続性を理解できます。大きなインパクトのある技術革新によって、産業や社会構造が変化した時代、あるいはその変化そのものを指す言葉に産業革命があります。
近代化の幕開けを象徴する、産業革命期の工業製品として、皆さんが真っ先にイメージするのは、蒸気機関車ではないでしょうか。蒸気機関車は、石炭を燃やした熱で水を沸騰させ、発生した水蒸気の力で車輪を回転させます。つまり、熱エネルギーを回転運動に変換して動く仕組みです。これによって、交通や物流も飛躍的に発展しました。
また、従来は水力で動かしていた紡績機も、蒸気機関車の技術を転用して、強力な動力で動かせるようになり、生産性も一気に向上。これにより、次々と近代的な工場が立ち並び、一層の大量生産が可能になったのです。
19世紀末になり、エネルギー源が石炭から石油に変化することで、さらに技術革新は進んでいきます。ガソリンの登場で内燃機関も一新され、輸送機械の小型化が実現し、産業革命が次のフェーズに入ったことを示す第2次産業革命が到来しました。
人の手による作業が不要になった工作機械
さらに時代が進み、1970年代になると、コンピュータの本格的な普及により、情報技術が飛躍的に発展し、情報のデジタル化が進んできました。
この時代は産業革命の第3フェーズに突入したとされ、機械業界も画期的な技術が導入されます。山梨県に本社を置くファナックが世界に先駆けてコンピュータ内蔵のNC(数値制御)装置を搭載した工作機械を世に送り出したのもこの時期でした。
日本は高度経済成長期の真っ只中で、国民が物質的な豊かさを追求した時代です。加工前の工程である「けがき(工作物表面に後加工の基準となる中心線、穴中心、外形線などを描く作業)」や、「ポンチ打ち(穴の中心となる箇所にくぼみをつける作業)」といった人の手による作業が不要になったことは画期的でした。
1973年、ファナックが最初に市場投入したこの工作機械は、日本工業大学の工業技術博物館(館長=清水伸二氏、埼玉県宮代町)に展示されています。当時の社名は富士通ファナックでした。
制御盤の中に13mm径の穴加工が可能な卓上ボール盤が入ったような格好をしており、X、YテーブルだけNC制御になっています。ちなみに当時の価格は、ボール盤のみで20万円ほど。NC装置が付いて約150万円で販売されていました。高価なものですが、自動的に穴をあける上に、ピッチが狂わないという理由から、この機械は大いに重宝されました。
当時の製造業では、旺盛な需要を背景に、工場の増設や新設が盛んに行われ、見込み受注による大量生産で新商品の市場投入がなされていました。
しかし、時は流れ、バブル崩壊後は製造業も規模拡大経営を見直し、膨れ上がった債務/設備/雇用の3つをスリム化して事業を再構築する必要がありました。1990年代は、顧客ニーズにもさまざまな変化が起きます。生産体制も、この変化の激しい時代に対応するため、多品種少量生産に入るとともに、過剰在庫の調整にも取り組みました。
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