豊田佐吉の名を轟かせた日本初の力織機「豊田式汽力織機」の発明:トヨタ自動車におけるクルマづくりの変革(6)(3/5 ページ)
トヨタ自動車がクルマづくりにどのような変革をもたらしてきたかを創業期からたどる本連載。第6回は、1896年に豊田佐吉が発明した日本初の力織機「豊田式汽力織機」を中心に、1892年(明治25年)〜1899年(明治32年)における日本の政治経済の状況や世界のクルマの発展を見ていく。
4.1892〜1895年:豊田佐吉の上京と糸繰返機の発明
1892年(明治25年)、第2回衆議院議員総選挙。ルドルフ・ディーゼル※2)がカルノーサイクル式エンジンの特許取得、翌年ディーゼルエンジンの特許を取得。
※2)ルドルフ・クリスティアン・カール・ディーゼル(Rudolf Christian Karl Diesel、1858〜1913年)は、フランスのパリで生まれたドイツの械技術者で発明家。カルノーサイクル式エンジンであるディーゼルエンジンを発明した。
豊田佐吉は同年10月、東京浅草で機屋を開業。織機研究のため埼玉県蕨町の高橋新五郎を訪門。
1894年(明治27年)、第3回衆議院議員総選挙、第4回衆議院議員総選挙、甲午農民戦争(東学党の乱)。日英通商航海条約が締結(領事裁判権撤廃)され、関税自主権の一部が回復された。「日清戦争」が勃発。
同年6月、豊田喜一郎が豊田佐吉の長男として誕生。また佐吉は糸繰返機を発明し、特許を出願。金物製造業者の野末作蔵を訪ね、織機用の金物製作を依頼。これは、後述する鉄製力織機の骨格をなす金物である。
糸繰返機は、図3に示すように、織機にかける経(たて)糸※3)を準備するための機械で、かせ糸を1本1本糸枠に巻き取る。手織りでいうと、経糸を準備するための枠巻きの工程、すなわち「かせ」から糸枠に糸を巻き取る工程を機械化したものだ。従来は手回しで1本ずつ巻いていたが、豊田佐吉は多数の糸枠を各個自在に掛け外しできるように発明し、動力で運転するようにした。 その機構は、手回しで行っていた糸枠の回転を動力に置き換え、原動軸から摩擦車で数個の糸車が同時に回されるようになっている。
※3)日本産業規格JIS L 0206 : 1999 繊維用語(織物部門)では、経糸(たていと、warp)。製織時に布の長さの方向に走っている糸。なお、個々の経糸はendともいう。
糸枠の駆動には発明当初から動力化が図られており、当時これを製作した井桁(いげた)商会が1901年(明治34年)に発行した豊田式織機の説明書(カタログ)には、蒸気機関による運転が記されている。また性能について同説明書では、8枠の糸繰返機を扱う熟練した工女にあっては、一日に800かせ(のり付けあり)〜1300かせ(のり付けなし)を巻き返すことができると、画期的な性能の良さをアピールしている。さらに、糸枠の取り替えや糸切れなどのときには全体の回転を止めず、1枠ごとに回転を止めたり着脱できたりするという作業性の面でも優れた機構を備えていた。糸繰返機はここに最大の特徴があり、この機構が特許請求の範囲であった。1人で同時に10数本巻き取り、生産性を画期的に向上させ、日本の織布業の発展に貢献した。図3に示した糸繰返機は、特許明細書と写真を基に複製したもの。図3(b)に示すように、運転中に糸枠を個別に脱着できる。
米国におけるノースロップ織機の発明
さて、図4に示すように、1894年(明治27年)に英国生まれのノースロップ※4)によって、世界初のほぼ鉄製で木管のみを交換する実用的な管換式自動織機※5)(ノースロップ織機※6))が発明されていた。ジェームズ・H・ノースロップの自動織機は1889〜1894年に開発され、米国企業のドレイパーが特許を取得したが、これは18世紀の動力織機の発明以来、織物技術における最も重要な成果であった。日本では、1900年に上述の大阪織布がドレイパーからノースロップ自動織機500台を輸入/購入して稼働させた。
※4)ジェームズ・ヘンリー・ノースロップ(James Henry Northrop、1856〜1940年)は、英国のウェスト・ヨークシャー州キースリーで生まれた発明家。繊維産業に従事。1881年に米国マサチューセッツ州ボストンに移住。1895年にノースロップがシャトル充填(じゅうてん)機構を発明したことで米国繊維産業の発展状況は一変した。これは後にノースロップ織機として知られ、繊維産業を新しい織物と繊維の時代へと導いた。1898年にマサチューセッツ州ホープデールのジョージ・ドレイパー・アンド・サンズで機械工兼職長として働き、数百件の特許を申請し、その一部はノースロップ織機に使用された。42歳で引退。
※5)自動織機では、緯糸を巻いた木管が入っているシャトル(杼、シャットル)を用いる有杼(ゆうひ)織機と、シャトルを交換する杼替式(shuttle change)と木管のみを交換する管替式(cop change)の2種類があるが、管替式のほうが多い。管替式は、新しい木管を補充するとき緯糸を傷めるおそれもあるが、通常は差し支えない。無杼織機では、緯糸を大量に巻いたチーズ(cheese、木管または紙管などに糸を円筒状に巻いたもの)などから直接緯入れするので、回数も少なく、簡単に補充できる。
※6)ノースロップ織機(Northrop Loom)は、1895年にマサチューセッツ州ホープデールのジョージ・ドレイパー・アンド・サンズが発売した全自動動力織機。シャトル充填機構を発明したジェームズ・ヘンリー・ノースロップにちなんで名付けられた。ノースロップの装置は1889年10月にマサチューセッツ州フォールリバーのシーコネット工場で試験された。1889年後半〜1890年に、シーコネットでさらに多くの織機が製造され、テストされた。ノースロップは、自動糸通しシャトルと、ボビンを尻のリングで保持するシャトルスプリングジョーも発明した。これが、ノースロップ織機の基本機能である、1891年の緯糸交換バッテリーへの道を開いた。ノースロップは、織機関連の特許を数百件取得。ドレイパーの他のメンバーは、実用的な経糸停止モーションも開発しており、これも織機に含まれていた。ノースロップ織機の主な利点は、完全に自動化されていたことである。経糸が切れると、修理されるまで織機は停止する。シャトルの糸がなくなると、ノースロップの機構は、切れた糸を排出し、止まることなく新しい糸を装填する。織機作業員は、以前は1人で8台しか操作できなかった織機を16台以上操作できるようになった。こうして、人件費は半分になった。1900年までに、ドレイパーは6万台以上のノースロップ織機を販売し、毎月1500台を出荷し、2500人の従業員を雇用し、生産量を増やすためにホープデール工場を拡張した。合計で70万台の織機が販売された。1914年までに、ノースロップ織機が米国の織機の40%を占めた。
図4に示すシングルシャトル「S」ノースロップ織機は、シャトルの緯糸が不足すると、自動的にボビンが一杯に挿入される緯糸自動補給機構が備えられていた。このタイプの織機は手入れがほとんど必要ないため、織工は1人で24台の織機を管理し、1週間に7000ヤード(6.4km)の布を生産できる。緯糸自動補給機構の他に、チャールズ・ローパーが1895年に導入した機械式経糸停止機構により、経糸が切れると織機が自動的に停止し、布がダメになる前に修理できる。
木管換えの自動織機はノースロップによるものが著名で、これを改良したもの、すなわち、経糸が切れたときに自動的に織機運転を停止するものが1900年(明治33年)に日本特許第4136号として申請されている。上述したように、このノースロップの自動織機では緯糸自動補給機構の他に、経糸切断停止機構も設けられているので、職工1人当たりの受持織機台数は飛躍的に向上した。すなわち緯糸補充装置のみを考えると、5分間で緯糸が尽きるとして約20本の木管を自動補充するとすれば、職工は1時間半に一度織機を見て回ればよい。
ところが、経糸が一定の確率で切断する問題があった。これはだいたい平均30分間に1度切れる確率として、経系切断のまま織機運転の進んでしまうこともあり、これを早期に発見するためには職工はかなりの頻度で見て回らなければならず、結果として、職工1人の織機受け持ち台数はそれほどに増加しない。そこで考えられたのが経糸切断時の織機自動停止機構で、経系が30分間に1度切れるのならば、その時に織機をストップさせる。これならば緯糸の自動補給分だけ職工の見回り時間は長くなり、もちろん織機の受け持ち台数も増加するわけである。
1895年(明治28年)、下関条約で日本が台湾、澎湖諸島、遼東半島を獲得。三国干渉で遼東半島を領土剥奪。乙未事変(閔妃暗殺事件)。図5に示すように同年6月、フランスで世界初の自動車ショーが開催。世界初の自動車レース(フランスのパリ−ボルドー間往復)※7)も開催された。
※7)世界初の自動車レースは、パリ−ボルドー間を走破したその距離の長さからパリ−ボルドーラリーと呼ばれている。出走は22台で、6台の蒸気車と1台の電気自動車に3台のオートバイ、それ以外はすべてガソリン自動車。注目すべきことに、空気入りタイヤを装着したミシュラン兄弟の稲妻号(図5(b))が、非公式に参加した。
豊田佐吉は同年、図3に示した「糸繰返機」の特許第2472号を取得し、豊田商店を設立(1902年豊田商会に改称)。糸繰返機を販売しながら、上記ノースロップのような動力織機の開発を進める。野末は織機用鉄製部品を製作し、その部品は動力織機の試験工場で組み付けられた。
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