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昭和初期のトヨタはどのようなクルマづくりを行っていたのかトヨタ自動車におけるクルマづくりの変革(1)(4/5 ページ)

トヨタ自動車がクルマづくりにどのような変革をもたらしてきたかを創業期からたどる本連載。第1回は、昭和初期に当たる1930年代から1940年代にかけてトヨタのクルマづくりがどのように進んでいったのかを見ていく。

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1933〜1949年のトヨタ自動車事業の歴史年表

 1939年には、東京芝浦研究所の跡地に蓄電池研究所を設置。1940年9月蓄電池研究所が利用していた3階建て建物と付属設備一式を提供し、財団法人の豊田理化学研究所を設立した。蓄電池研究所の研究活動は、豊田理化学研究所に継承されている。

 同じく1939年、ディーゼル自動車の将来性に着目して、ドイツのユンカースのディーゼル自動車をモデルとして極秘裏に独自のディーゼル自動車の試作研究を推進し、見事完成したが、市販しなかった。

 1940年(昭和15年)、喜一郎は、鋳造技術の進歩に伴って、鍛造品が鋳造品に切り替えられることを想定し、ドイツのオイムコ製の据え込み鍛造機を導入し、3工程分の金型を整備し、3段階の成形が一度の加熱で完了する「ワン・ヒート・フォージング」据え込み鍛造法を確立した。

 表1は、1930年代から1940年代にかけてのトヨタの歴史をまとめるとともに、その内容を補足するために作成したものだ。1933〜1949年におけるトヨタの自動車事業の挑戦として、新車発表と生産販売実績、事業展開、工場/施設の展開などを時系列で示している。

表1
表1 1933〜1949年におけるトヨタの自動車事業の歴史[クリックで拡大] 出所:トヨタ自動車の提供資料に加筆

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