覚悟を決めて値段を2倍に、「越前打刃物」の柄を蒔絵でモダンに彩る夫妻の挑戦:ワクワクを原動力に! ものづくりなヒト探訪記(8)(2/7 ページ)
本連載では、厳しい環境が続く中で伝統を受け継ぎつつ、新しい領域にチャレンジする中小製造業の“いま”を紹介していきます。今回は越前打刃物の柄を製造している山謙木工所さんを取材しました。
苦しむ両親の背中見て「入っていいことあるのか」
――卓哉さんは大学卒業後に家業へ入られているんですね。
卓哉さん 卒業後すぐに入社すると決めていたわけではなく、親からは「どこでもいいから何年か他の会社で働いてこい」といわれていました。ですが、就職活動を始めたころ、山謙木工所で働いていた叔父が亡くなってしまい、急きょ福井に戻り、家業に入るという決断をしました。
――そうだったのですね。大学時代に熱中したことはありますか?
卓哉さん 大学へはフェンシングのスポーツ推薦で入学したため、ずっとフェンシングをしていました。成人式の時も帰れないくらい練習をしていましたし、大学4年生の春まで大会があったため、学生生活はフェンシング一色でしたね。
――子どものころは家業に対してどんな思いを持っていましたか?
卓哉さん 小さいころから名前を聞かれて「あそこにある木工所の山本です」と答えると、「山謙の息子か」といわれるような感じで、周りが僕のことを「山謙の息子」という感じで見ていたので、後を継がなければいけないんだろうなというのはずっと感じていました。姉たちはいずれ家を出るだろうと思っていたし、継ぐのは僕しかいないんだろうなと。
――卓哉さんの気持ちとしてはいかがでしたか?
卓哉さん 両親を見ていると、苦しそうだなというのが本心でした。月末になるといつもお金の話をしていて、すごく苦労しているというのは子供ながらに分かっていたつもりです。「こんな会社に入って、将来何か良いことはあるのかな」と思っていました。
繊細な技術を1つずつ必死に習得
――柄の製造というのは、刃物業界とかなり密接に関わっていると思います。基本的には刃物の生産数が増えると、柄の生産数も増えるという認識で合っていますか?
卓哉さん 合っています。しかし、生産量が増えると利益が上がっていくのが普通ですが、昔は単価の安いものを大量生産していて、今より生産数が多かったにもかかわらず苦しい世界でした。さらに、業界の中で値下げ合戦が起き、もうこれ以上は下げられないという価格水準までいってしまいました。
――単価が安い会社に注文が集まっていたのでしょうか?
卓哉さん そうですね。当時はどこもほとんど同じような柄を作っていたので、価格でしか判断されませんでした。山謙木工所は早い段階で設備投資をし、量産することができていたためコスト低減ができていましたが……。正直、選ばれていた理由はそこだけです。当社の製品がすごく良いから注文が来る、ということは特になかったですね。
――卓哉さんは入社後、叔父様の担当をそのまま引き継いだのですか?
卓哉さん 叔父は機械全般を担当していて、僕はそれをそのまま担当しました。セットされた機械に材料を投入するのはそう難しくないのですが、最初に機械をセットするのが一番大事で、難しいんです。それを僕に教えてくれる人は誰もいなくて、残っていた大量のサンプル品や治具をパズルのように組み合わせて、ああでもないこうでもないと言いながらやっていましたね。
――機械のセットは具体的にどのように難しいのですか?
卓哉さん 山謙木工所で使う木工機械は特に細かくて、建具製造など他の木工業で働いてきた人でも「こんな細かい木工機械見たことない」と言うくらいです。さらに、ダイヤルを回して設定したり、数値を入力して動かしたりするものではなく、手の感覚を頼りにセットしていくものなんです。刃物の角度調整1つとっても、すごく繊細で本当に難しいです。
――サンプルと治具を片手に、読み解くような感じで機械のセットを覚えていったのですね。
卓哉さん 「お前はどこをどうやったらこうなるんや……」と機械に話し掛けて、機械と会話するような日々でした。少しずつ機械のことが分かるようになり、5年ほど前に入社した従兄弟にも教えられるようになりました。今では、僕と従兄弟で分担して機械のセットをしています。
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