【総括】デライトの目指す先とその実現に向けて必要なこと:デライトデザイン入門(8)(1/3 ページ)
「デライトデザイン」について解説する連載。最終回となる連載第8回では、デライトの「価値」を生み出す2つの軸について考え、これに基づいて、いくつかの“デライトと思われている製品”の分析を試みる。そして、以上の検討を踏まえ、デライトデザインを実現するための方策を提案する。
本連載も今回が最終回となる。これまで、従来のものづくりから価値づくりを目指す「デライトデザイン」の考え方や手法について述べてきたが、「価値」そのものについては深く言及してこなかった。
そこで、今回はデライトの価値を生み出す2つの軸について考える。これに基づいて、いくつかの“デライトと思われている製品”の分析を試みる。以上の検討から、デライトデザインを実現するための方策について提案する。
※)「ものづくり」の表記について:MONOistでは「モノづくり」で表記を統一していますが、本連載では「もの」と「モノ」の違いを重視していることから「ものづくり」としています。
デライトデザインで目指したこと
従来のものづくりは、「性能」と「コスト」の2軸で考え、性能向上に伴うコストの上昇を最小限に抑えることを主眼としている。一方、デライトデザインでは図1に示すように、「性能」と「コスト」の2軸に加えて、第3の軸である「価値」を設定し、性能、コストとは独立な価値をデザインすることを目指している。そのためには、既存製品をベースとした流用設計、改善設計ではなく、機能ベースの設計(1DCAE)が必要であり、そのための方法、適用事例をこれまで紹介してきた。
図1の3軸をいま一度よく見てみると、性能、コストは具体的であり、数値化することが可能であるが、「価値」という言葉は概念としては理解できても、実際に定義することは容易ではない。「価値」の辞書的意味としても種々存在するが、“個人の好悪とは無関係に、誰もが「よい」として承認すべき普遍的な性質”と考えることができる。「使いやすい」「カッコいい」などがこれに相当する。「価値」を英語にすると「value」「worth」がよく使われる。前者は相対的な価値、後者は絶対的な価値を意味する。いずれにしても価値を定量化するのは容易ではないが、ある程度分類することは重要である。
デライトの価値を生み出す2つの軸
デライトの価値を考えるに当たって、寺田寅彦氏が1922年書いた「蓄音機」という随筆(参考文献[1])からその一部を紹介する。当時は、蓄音機が世の中に普及し始めた時期であり、そのような時期に下記の言葉を残していることは興味深い。
蓄音機に限らずあらゆる文明の利器は人間の便利を目的として作られたものらしい。しかし便利と幸福とは必ずしも同義ではない。私は将来いつかは文明の利器が便利よりはむしろ人類の精神的幸福を第一の目的として発明され改良される時機が到着する事を望みかつ信じる。その手始めとして格好なものの一つは蓄音機であろう。 ……中略…… もしこの私の空想が到底実現される見込みがないという事にきまれば私は失望する。同時に人類は永遠に幸福の期待を捨てて再びよぎる事なき門をくぐる事になる。
上記の言葉から、
デライトの価値 = 便利 × 幸福
と定義してみた。
「便利」とは“役に立つこと”、「幸福」とは“心が満ち足りていること”と考えると、価値とは役に立つとともに心が満ち足りた状態を提供するものということになる。重要な点は、「便利」と「幸福」の掛け算(×)が「価値」ということである。いくら便利であっても、幸福をもたらさないものの価値は低いことを意味する。
蓄音機は、“音楽を人工物を通して聞く装置”である。この装置の変遷を図2に示す。蓄音機の発明、蓄音機の普及を経て、いわゆるステレオが多くの家庭に音楽を聞く環境を提供した。その後、持ち歩けるステレオ(例:ソニーの「ウォークマン」)、いつでもどこでも好きな音楽が聞ける装置(例:アップルの「iPod」)へと進化した。
この変遷を見ると「便利」は確かに大幅に向上している。一方、「幸福」はどうだろうか。今でも蓄音機で音楽を聞くことはできる。蓄音機は音量調整ができず、それぞれの蓄音機が固有の音を有している。このような蓄音機で音楽を聞くと(個人差はあるが)何とも言えぬ感動を覚える。一方、最近の音楽再生端末の場合、いつでもどこでも好きな音楽を聞くことができるという意味では非常に便利であるが、本来の音楽を聞くことにより“人に精神的幸福を与える”という効果が薄れてきているように思う。
以上のことを考慮して、デライト製品の目指すところを図で表現してみた(図3)。縦軸を「幸福」、横軸を「便利」としている。
「美術館で絵画を見る」「コンサートホールで音楽を聞く」という行為はまさに「幸福」を目的としている。一方、通常の人工物は「便利」を追求してきたように思う。つまり、デライト製品とは、便利を一定の程度に抑え、幸福を与える工夫をしたものと考えることができる。そして、このデライト製品をデザインする考え方、手法がデライトデザインである。
参考文献:
- [1]寺田寅彦随筆集、第2巻、蓄音機、岩波書店(2003)
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