低毒性燃料採用の超小型衛星用スラスター開発はリアル下町ロケットだった!?:宇宙開発(1/4 ページ)
低毒性燃料を採用した超小型衛星用スラスターを開発した由紀精密と高砂電気工業。両社とも老舗の中小企業で宇宙分野への参入が比較的新しいこともあり、小説やテレビドラマで話題になった「下町ロケット」をほうふつとさせるところもある。では実際の開発は、どのようなものだったのだろうか。両社の関係者に話を聞いた。
由紀精密と高砂電気工業は2021年8月4日、キューブサット級から100kg級までを想定した超小型衛星用スラスターを開発したと発表した。低毒性燃料(グリーンプロペラント)を採用し、取り扱いを容易にしたのが大きな特徴で、軌道制御などに利用できる。今後、両社で協力し、国内外の衛星メーカーへの販売を目指すという。
スラスター本体は由紀精密が開発し、高砂電気工業はキー技術の1つであるバルブを提供した。両社はともに製造業では老舗の中小企業であるが、宇宙分野への参入は比較的新しい。開発コードとして、両社の頭文字から「YUTA」と名付けられたこのスラスターにはどんな特徴があるのか。開発経緯なども含め、両社の関係者に話を聞いた。
低毒性であることのメリット
スラスターは、ガスを噴射する反動により、推力を得る装置である。スラスターの性能を示す数値として、まず理解してほしいのは推力と比推力。推力は、得られる力の大きさで、衛星の質量が大きいほど、大推力のスラスターが必要になる。一方の比推力は、単位が秒(s)でちょっと分かりにくいが、燃費の良さと考えてほしい。
スラスターの性能として特に重視されるのはこの比推力だ。比推力が高ければ、同じだけ燃料を搭載しても、より長く使うことができる。つまり、衛星の寿命を長くすることができるわけだ。また、必要なΔV(速度の変化量)が決まっているのであれば、搭載する燃料の量を減らせるというメリットもある。
スラスターには、その動作原理の違いによって、実にさまざまな種類がある。ここでは最も一般的な化学スラスターについてのみ注目したい。化学スラスターはその名称の通り、ガスの発生に化学反応を利用するものだ。
化学スラスターは大きく2液式と1液式に分類される。2液式は、燃料と酸化剤という2種類の液体を使用し、燃焼させることで高温高圧のガスを発生させる。これに対し、1液式は燃料のみ搭載し、触媒による分解反応によってガス化させる。2液式より比推力は劣るものの、仕組みが簡素なため、小推力のスラスターで採用されることが多い。
YUTAスラスターは、この1液式の化学スラスターである。大きな特徴は、冒頭で述べたように、低毒性燃料を採用したことだ。これまで、化学スラスターで燃料として主流だったのはヒドラジンで、性能や信頼性の面で優れていたものの、毒性が強いという大きな課題があった。一方、YUTAスラスターでは、過酸化水素水を使用している。
由紀精密でプロジェクトマネージャを務める開発部 部長の松本幸子氏は、低毒性燃料のメリットについて、「ヒドラジンに比べると、取り扱いが容易になる。ヒドラジンだと隙間がない防護服が必要になるが、過酸化水素水なら一般的なクリーン服程度でよい。運用が容易なだけでなく、必要な設備そのものも変わってくる」と述べる。
近年、超小型衛星〜小型衛星を軌道上に多数配置し、地球観測や通信に活用するコンステレーション計画が盛んになってきている。衛星が1機なら、地上での燃料充填も1回だけのことだが、数十機、数百機にもなると、運用性の違いは極めて大きくなる。また1機だけの場合でも、設備が簡素化できるのは大きなメリットといえる。
さらに、低毒性燃料のスラスターを国産化したことで、「納期、コスト、カスタマイズ性の面でもメリットが大きい」(松本氏)という。過酸化水素は地上で一般的に使われる物質のため、入手性に優れ、価格も安い。国内の衛星メーカーにとっては、日本語でやりとりを密にできて、衛星ごとのカスタマイズも進めやすいだろう。
なぜ過酸化水素水を採用したのか
人体に有毒なヒドラジンを撤廃しようと、宇宙分野では以前から低毒性燃料の研究開発が進められてきた。代表的なものとしては、HAN(Hydroxyl Ammonium Nitrate)系、ADN(Ammonium DiNitramide)系、HNF(Hydrazinium Nitro Formate)系、過酸化水素などがある。
化学スラスターの比推力は、燃料の物質によって、理論的な上限が決まる。それだけ燃料の選定は重要なのだが、HAN系、ADN系、HNF系はいずれも、ヒドラジンと同等以上の比推力が期待されており、性能面での優位性がある。
さらにHAN系には、凝固点が低い、つまり凍りにくいというメリットもある。ヒドラジンは2℃で凍ってしまうため、衛星では燃料タンクや配管などにヒーターを取り付け、それを防ぐ。もし凍ってしまえば、スラスターが一時的に使えなくなるだけでなく、配管の破損など、深刻な事故につながる恐れもある。
凝固点が低ければ、本質的に凍りにくくて安心であるし、ヒーター電力も大幅に削減できる。大きな太陽電池パドルを搭載できず、電力的な余裕があまりない小さな衛星では、このメリットは特に大きい。
一方、過酸化水素は、比推力では他の低毒性燃料に劣るし、凝固点もヒドラジンとそれほど変わらない。しかし前述のように、極めて一般的な材料であるため、燃料や周辺素材の入手性やコストに優れるのは、他の低毒性燃料にはない大きなメリットだ。
高砂電気工業 代表取締役会長の浅井直也氏は、バルブ側の観点から、「ヒドラジンで使えるゴム系の材料で、実績があるのはごくわずか。われわれも以前、ロケット用のバルブを開発するときに、その特殊なゴムを入手しようとしたが、1シート数百万円で納期も半年以降といわれてしまった」と困難さを指摘。「それに対し、過酸化水素水ではもっと一般的なゴム系の材料が使えるので、作るのはかなり楽。コストも相当変わってくる」(浅井氏)。
また「HAN系だと、燃料タンクにヒーターは不要になっても、触媒は温める必要がある。過酸化水素なら、触媒は低温でも使うことができる」(松本氏)という。触媒にヒーターが不要なら、もちろん電力的なメリットもあるが、触媒を温める時間が不要になる。この特徴から、「デブリとの衝突を回避するための緊急的な軌道制御にも使えるのでは」(同氏)と期待する。
なお触媒については、「ノウハウの塊」(由紀精密 取締役社長の永松純氏)だということで、素材や構造などは一切秘密。前述のように低温でも使えるのが大きな特徴であるが、性能をより重視する場合にはオプションとしてヒーターを追加することも可能であるとのこと。
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