「獺祭」を造るのは杜氏や蔵人ではない!? ピンチをチャンスに変えた旭酒造の経営:イノベーションのレシピ(1/2 ページ)
「SoftBank World 2019」の特別講演に、旭酒造 会長の桜井博志氏が登壇。伝統にこだわらない手法で世界的に有名な日本酒「獺祭」を醸造する、旭酒造の取り組みを紹介した。
ソフトバンクが東京都内で開催した法人顧客向けイベント「SoftBank World 2019」(2019年7月18〜19日)の特別講演に、旭酒造 会長の桜井博志氏が登壇した。旭酒造は、機械やITを取り入れた四季醸造や、AI(人工知能)を活用し、酒造りの工程をデータ分析することで最適な「次の一手」を導き出すという独自の製造法を確立するなど、伝統にこだわらない手法で、世界的にも有名な日本酒「獺祭」を醸造している。今回は、「ピンチはチャンス!〜逆境経営を乗り越え、辿り着いた世界の『獺祭』とは〜」をテーマに。旭酒造の取り組みを紹介した。
酒の造り方を徹底的にデータ化
桜井氏は、酒蔵の三代目として生まれ、1984年に家業の山口県の酒蔵を継いだものの、倒産寸前の状態だった。斜陽産業といわれる日本酒業界の中、なぜ旭酒造の日本酒「獺祭」は成長し続けることができたのか。それについて、桜井氏は「変化する社会の中で酒蔵も変わらなければいけなかった。われわれにはこういう酒蔵になりたいという理想があり、そちらに向いて変化していったことが大きい」と述べた。その理想とは「かっこいい酒蔵であり、そこでおいしい酒を造るということに注力すること」だったという。
旭酒造の獺祭は、特に海外などでは女性や若い層に人気が高い。そういった日本酒に対して思い入れがあまり無い客に支持された理由には「やはりおいしいことが重要だ。それでこうした層の客に受け入れられた」(桜井氏)とする。
旭酒造の酒蔵は山口県という、日本酒製造ではどちらかといえばマイナーな場所にある。山奥の過疎地で過酷な状況で酒造りを行ってきた。周辺は農作地であり、夏は農業を行い、冬には、その寒冷な気候を利用した酒造りに携わる「杜氏」「蔵人」とよばれる人材を周辺地区から供給してもらっていた。「この雇用形態はわれわれにとっても都合の良いものだった」(桜井氏)。
しかし、太平洋戦争が終わって高度成長期を迎え、農村の労働力が都会に流出するようになり、人材が不足するようになってきた。それは、酒蔵でも同じで、大手の酒造メーカーは機械化してそれに対応した。地方の酒蔵は大量に生産はできないが、その土地の銘酒として生き残る道を選んだ。しかし、機械化は品質の低下を招くことがある。地方の優秀な杜氏を抱え込むことに成功し銘酒をアピールした酒蔵も、生産量が増えないことから、ブランドを高め、日本酒全体の底上げをするというパワーに欠けた。
その中で桜井氏は、「杜氏は経験と勘といわれるが、経験はデータの蓄積であり、勘は経験と現場の現象の中で思考が飛躍していくことだ。これら2つを徹底的にデータ化し、それを見ながら社員が酒造りを行うという形をとった」と酒造りのデータ化に取り組んだ。これにより、酒造りが安定した。ただ、実際の酒造りは細かな調整が多いこともあって、機械で造るというよりも、人間が主役となる。それは、機械ではこうじの扱い方など微妙なコントロールが難しいためだ。
また、旭酒造の場合、夏場にも冬場と同じような環境を作ることで、一年間を通じて酒造りを行っている。これは、社員の雇用を考えると、冬だけ酒造りをしていればよいということではないためだ。一年間酒造りを行うことにより、社員の緊張が途切れないことや、顧客にも最も保存状態の良い酒を提供し続けられるというメリットが生まれている。
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