AUTOSAR導入初期段階における試作評価の適切な進め方:AUTOSAR〜はじめの一歩、そしてその未来(4)(2/4 ページ)
AUTOSARを初めて導入する際に2つある典型的パターンの1つが「AUTOSAR導入準備の初期段階としての試作評価実施」だ。このパターンの場合にどのように取り組むべきかについて筆者の考察を示す。
評価は不要なのか、周囲の声をうのみにしてよいのか
では、評価は全く不要であり、他から得られる評価結果に頼るなどすれば良いのだろうか。決してそうではない。特に、国内でのいわゆる「評判」には注意が必要だ。AUTOSAR利用実績が欧米に比べて多くないにも関わらず、「AUTOSARを導入することが必要となる決定的な理由はない」「実行時オーバーヘッドやROM/RAMなどのリソース消費量が増加する」という声だけは多いのだ。
確かに、AUTOSARに対する不満の声は、欧米でも皆無ではない。しかし、日本ほどに高い比率で不満の声が聞かれるわけではないし、もっと具体的な技術的課題が議論されることの方が多い。文化背景の差異もあるだろうが、もしかしたら、日本では、先に述べたようなAUTOSARに対する「達成されなかった不適切な期待」が「AUTOSARそのものの悪さ」として扱われていることが多いのではないかとも考える。
そもそも日本国内では、AUTOSAR利用実績が欧米に比べて多くないことから、他の評価結果に依存することも多いであろう。それ自体は悪いことではない。しかし、「うのみにしているだけだ」という批判を避けるには、見聞きしたものに対して、時間経過による変化※3)に伴う「情報の寿命」を考慮することは当然ながら、「不適切な期待」による失敗の原因がAUTOSARに帰せられている可能性についても注意深く検討する必要があるのではないだろうか。
また、だからといって、肯定的な評価であれば何でも良いわけでもない。例えば、「API統一だけでも十分に価値がある」※4)とはよく聞く話だが、それだけしかAUTOSARに期待しないと決めてしまうのは、少々もったいないと思う。
そのような打ち切りの意図はなくとも、評価が長い寿命を持つ最終報告として扱われてしまえば「これ以上の評価や準備は不要」という印象を読み手に与え、将来さらに活用するための準備の機会を失う可能性もあるのだ。
むしろ、得られた結果は導入検討の最初のステップで見えてきたものでしかないと強調し、今後も実際の運用で見えてきたものを継続的に反映し続ける必要性、つまり見直しを継続的に行うことの必要性こそが、強調されるべきなのである。このことは、報告を出す側と受ける/読む側の双方で注意すべきものと考える。
設定すべきゴール
AUTOSARは、夢物語の実現や何か特別なことを、新たにできるようにするものではなく、再利用のように既に当たり前にできていると考えられていること(しかし、実際には実現するのが容易ではないこと)を当たり前にできるようにすることで、さらに「何か」を可能にする助けを与える地味な存在だ。従って、「AUTOSARをどのように運用すると、何ができるのか。何を期待できるのか」が、検討すべき項目のうち最も重要なものとなるのだ。ここでは、AUTOSARそのものを試すのではなく、自分たちを試すのだ。
ただ、このような検討項目を中心に据えるのは容易ではない。「AUTOSARの効果は何か。説明せよ。説明できないなら、検討に着手する意味はない」という声は実に多いからだ。完全に鶏と卵の関係である。
しかし、AUTOSAR導入により期待できることは、明快で永久不変かつ万能な唯一の答えとして与えられるのではない。その効果を把握し実践できるようにするための検討(自らが積極的に運用することにより何が得られるのかということを理解し実感できるようになるために必要なステップ)に着手するに当たって、事前に効果の説明が可能なのであれば、その検討は必要なくなってしまうのだから、無理な説明だということにはならないだろうか。
検討着手に当たっては、「既に多くの企業で使われているのだから、そこには何らかの利点があるはずだ、自分たちはどのように使えるかを調査してみよう」で十分ではないだろうか。ましてや、検討中に「AUTOSARで行くべきか否か」に話を戻してしまったら、余計議論は混乱してしまうのだが、残念ながらそのような事例は頻繁に目の当たりにしている。「AUTOSARの是非の検討」と「何が得られるか」を分けることだけは、堂々巡りを防ぐために必須である。
注釈
※3)価値判断での優先順位や必須制約事項などにおける、評価時点と現在の状況の差など。例えば、リアルタイムOS(Real Time Operating System、RTOS)に対しては、10年前の日本の車載制御ソフトウェア分野では、実行時オーバーヘッドやROM/RAMなどの資源消費量の理由から結果的に普及しなかった。今も、使用した経験の全くない方が圧倒的多数であるにも関わらず、「重く、サイズが大きい」ということは検証の必要すらない事実とされている(固定観念化)。しかし以下の図1をご覧いただきたい。それほど大きいだろうか。時間の経過とともにマイコンの性能も向上し、リソース搭載量も増大した。評価の見直し(あるいは「都市伝説やお化けの退治」)を行うべきタイミングを迎えたのではないだろうか。
※4)なお、API統一によりもたらされることは多くあるので、この表現は決して間違いではない。しかし、何がもたらされ、それにより何が期待できるのか、ということをきちんと整理することにより、次のステップも見えやすくなるであろう。
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