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災害にロボット技術で立ち向かう、レスキューロボットの現在と未来レスキューロボット(1/3 ページ)

阪神・淡路大震災から20年。この大震災は日本国内だけでなく、世界のレスキュー活動にも影響を与えた。自ら震災を経験し、レスキューロボット開発などレスキュー工学の立ち上げに携わってきた研究者の声とは。

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 1995年1月17日未明、阪神・淡路大震災が発生し、兵庫県を中心に6400人余りの死者が出た。1000人以上の死者を出した巨大震災は、日本では1948年6月28日に発生した福井地震以来47年ぶりだった。関西を揺るがした巨大震災は、日本だけでなく世界のレスキューの在り方を変えた。震災をきっかけとして、人に代わってガレキや建物内を移動して要救助者を探索するレスキューロボットの研究が始まったのだ。

 兵庫県神戸市には、レスキューロボットの研究開発に取り組む「NPO法人国際レスキューシステム研究機構」のラボがある。また、次世代の研究者・技術者の育成を目指す「レスキューロボットコンテスト」が、2001年から毎年開催されている。これらも震災後に生まれたものだ。

 神戸市が2015年1月18日に開催した『〜震災20年 神戸ロボット工房 特別セミナー〜「災害に立ち向かうレスキューロボットが築く未来」』と題したイベントでは、レスキューロボット開発の最前線で活躍する3人の研究者が講師となり、これまでの活動成果と今後の取組み、展望や夢について語った。

レスキューロボットの挑戦と現状

 阪神・淡路大震災と東日本大震災、2つの震災を経験したのがNPO法人 国際レスキューシステム研究機構 会長の田所諭氏(東北大学大学院 情報科学研究科 応用情報科学専攻 教授)だ。

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NPO法人 国際レスキューシステム研究機構 会長 田所諭氏

 レスキューロボットの研究を始めたのは、阪神・淡路大震災後のこと。阪神・淡路大震災で人命救助にあたった際、それまで自分たちが研究していたロボットが、災害時に無力であることを痛感した。これでいいのかと思ったことが、レスキューロボットを研究するきっかけとなったという。

 田所氏は、時間の経過とともに災害の様相が変化し、それに応じてレスキューロボットのニーズが変わると指摘した。

 発災直後の数日間は、避難・人命救助を中心とした緊急対応が必要とされる。被害が沈静化すれば、数カ月に渡る復旧対応がスタートする。その後、経済活動や人々の生活が平時に戻るための復興には、数年を要する。平時に戻ったら、いつ起こるか分からない災害に備えた長期間の災害予防が重要だ。

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災害様相の変化によって、防災ロボットのニーズも変わる

 田所氏はその「変化」を念頭におき、ロボット技術をどう役立てるか研究している。それぞれのシーンで何をやるべきか調査・検討した中で、ロボカップレスキューの実施や文部科学省の「大都市大震災軽減化特別プロジェクト」(2002〜2006年)に携わってきた。福島第一原子力発電所内部の探査に活用されている「Quince」の開発も行った。

 阪神・淡路大震災の後、レスキューロボットの研究が重要であると多くの方に伝えても、なかなか理解を得られなかった。政府に予算申請しても通らず、研究のスタートを切るのに苦労したそうだ。そんなとき「ロボカップ」を知る。

 ロボカップは「2050年、人型ロボットでワールドカップのチャンピオンに勝つ」ことを目標に掲げているが、本質はスーパーサッカーロボットチームを作ることではなく、サッカーロボットを研究することで新しい産業を生み出すことにある。

 ロボカップには何千人もの研究者が集い、予算も自分たちで工面して課題解決のためにチャレンジしている。それと同じことがレスキューロボット開発で行えたなら、非常に大きな革命が起こると田所氏は考えた。多くの研究者が継続的に研究していけば、イノベーションが起きると期待したのだ。

 そうして立ち上げたのがロボカップから派生した競技「ロボカップレスキュー」であり、2000年にプレ大会、2001年に正式スタートした。当初はラジコン戦車のようなロボットシステムだったが、年々、各チームのロボットの性能がアップした。福島第一原子力発電所の内部探査に活用されたロボット「Quince」は、まさにロボカップレスキューの中で生まれたロボットであり、ロボカップレスキューの成果は「実際に現実的なものとなった」という。

 研究開発の裾野を広げる一方、2002年にはNPO法人 国際レスキューシステム研究機構(IRS)を立ち上げた。レスキューロボットを実用化するためには研究開発だけではなく、ユーザーや社会への認知を進めていく必要があると考えたからだ。

 IRSがさまざまな研究事業や実証実験を行った結果、多くの研究者が問題点にコミットすべきだという流れが醸成され、その活動が、2011年の東日本大震災の際、多くのレスキューロボットが活躍した下地となっている。「多くの研究者と協力して活動してきたことが、日本全体にとって大きな出来事であった」と田所氏はこの20年を振り返る。

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福島第一原子力発電所内部の探査に活用されたレスキューロボット「Quince」

レスキューロボットはどうすれば「日常へ寄与する存在」になれるか

 「今後、ロボットは明らかに防災の重要なツールになっていく」と田所氏はいう。

 インフラ点検での利用はもとより、将来的には、災害が起きた瞬間にロボットを使った大々的な情報収集も行えるようになるかもしれない。しかし、防災はロボットを開発する者にとってのメインターゲットではない。なぜなら必要とされる機会と台数が限定的であり、ビジネスとして成立しないからだ。レスキューロボットを日常の経済活動の中で役立てていくことが、重要であると田所氏はいう。

 フォークリフトやクレーンなどの重機は平常時、道路工事などさまざまな工事に利用されている。平常時に多用されているからこそ、災害復旧時でもすぐに稼働できる。レスキューロボットも、そのように配備されていかなくてはならないというのだ。

 防災ロボットの研究過程で開発された技術は、国内外の様々なサービスを高度化することに役立っており、これを活用した新しいサービスを生み出す。それが巨大ビジネスに成長し、それによって防災ロボットを新たに研究開発できる。そうした流れを田所氏は期待している。

 「私たちの生活は多くの家電によって便利になってきた。しかし屋外に目を向けると、まだまだできないことは多く、そこに大きなマーケットがある。そこを防災ロボットの研究によって生まれた技術で道を切り開いていきたい。防災というと利益を追求してはいけないという風潮があるが、防災をキーワードに研究開発をして安全確保していくのが、私たちの目指すところである」と、田所氏は語った。

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レスキューロボット開発、今後の予測と展望

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