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ソニーの工場に咲く復興の花、東北産業の“ゆりかご”を目指すみやぎ復興パークモノづくり最前線レポート(1/3 ページ)

津波で被害を受けたソニーの工場が、新たな東北産業の“ゆりかご”となっていることをご存じだろうか。自らの復興とともに東北復興に向けた新たな産業創出に取り組む、ソニー仙台テクノロジーセンターとみやぎ復興パークの取り組みを取材した。

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 仙台駅から電車で約20分の距離にある多賀城駅。そこから徒歩で15分ほど海側に歩けばソニー仙台テクノロジーセンター(以下、仙台TEC)がある。仙台TECは仙台塩釜港から2kmの距離に位置しており、東日本大震災による津波で、ソニーの拠点で最も大きな被害を受けた。その拠点が今、東北復興の新たな“ゆりかご”になろうとしている。そして今そこから、植物工場やセキュリティの演習・研究機関、大学の研究機関など、さまざまな新たな芽が育とうとしている。仙台TECの復興の軌跡と、震災後に新たに生まれた「みやぎ復興パーク」の活動を紹介する。

ソニーの地方初工場だった仙台TEC

 仙台TECは、当時まだソニーが東京通信工業という名前だった1954年にソニー初の地方工場として誕生した。その頃のソニーは国産初のテープレコーダーを発売した時期で、仙台工場ではそのテープレコーダーに使う磁気ヘッドと磁気テープの生産および開発を行った。

 その後、磁気テープの技術力を生かし、製品範囲や技術領域を拡大。震災前の段階では、放送局用テープやデータストレージ用テープなどのテープ製品の他、光ディスク製品、ディスプレイフィルム、リチウムイオンバッテリーの電極、プロジェクター用無機偏光板、プリントメディアなどの研究開発・生産を行っていたという。

東日本大震災の影響

 そして2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生する。震度6弱の強い揺れの後、16時8分に約2mの津波が到達。工場の1階に設置していた製造機器や検査装置などは全て水をかぶり、敷地内には200台以上の自動車が流れ込むなどの甚大な被害を受けた。建屋そのものは頑健だったため、上層階には社員の他、近隣から約200人が避難。水が引き安全が確保されるまで一晩、とどまっていたという。

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仙台TECから撮影した津波の様子(クリックで拡大)

 津波が引いた後は、仙台TEC内には多くのがれきや車などが残された。また建屋内に設置した機器も泥にまみれた。ライフラインの被害も甚大で、電気が本格的に復旧したのは、地震発生から5カ月後のこととなる。それまで自家発電設備などを適宜稼働しながら生産ラインの復旧に取り組んだ。

photophoto 津波が引いた後の仙台テクノロジーセンターの構内の様子(左)と現在の様子(右)(クリックで拡大)
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仙台TEC代表の大崎博之氏

 復旧といってもまずは構内の車両やがれきの除去、清掃や排水からだ。それも電気や水道、ガスなどが自由に利用できるわけでもなく、それぞれの従業員の家屋も被害を受けた人がたくさんいる。「そのような中でも従業員は明るく前向きに作業に取り組んでくれた」と仙台TEC代表の大崎博之氏は語る。

 被害を受けた設備を1つ1つ洗い、使えるように整備を行っていく。2011年5月には津波による浸水被害を受けなかった光ディスクの生産設備で生産を開始。そして同年7月に磁気テープの生産を、同年8月に光学フィルム生産を再開し、同年9月からは通常稼働の状況に戻すことができたという。「まさに従業員が一丸となって取り組んだ成果だ」と大崎氏は胸を張る。

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