海外拠点を作るだけがグローバル展開ではない――埼玉のモノづくり中小企業:大学教員は見た! ニッポンの中小企業事情(4)(2/2 ページ)
海外に拠点を作ることなく、地域(国内)拠点だけで国際的にビジネス展開する埼玉県の中小企業3社から学べることは?
4.埼玉の中小企業がグローバル・サプライヤーになったわけ――野口精機
最後にリーマンショック以前から国際化している企業を紹介したいと思います。野口精機(埼玉県東松山市:従業員186人)は1951年の創業当初から、近隣のディーゼル機器企業と取引していました。2代目である現社長 野口貴弘氏はもともと官庁関連の職に従事していたのですが、20代後半に自社に戻ります。
ところが、その数年後にバブルが崩壊する中で、
「自動車部品業界の世界トップ3の企業と仕事がしたい」
と考えたのです。
そして、ディーゼル燃料噴射ポンプで世界最大手のドイツ企業B社と取引するため、単身渡欧したのです。
紹介もなく、最初は門前払いを食らうも、再訪を重ねるうちに、B社の技術担当者から、
「本当に仕事をしたいなら、図面を出すので試作をやってみないか?」
という申し出を受けます。
そして、試作品を提示したところ、「精度が欧州の物より良い」という評価を受けたのです。しかし、当時の欧州での取引は期間契約となっており、途中からの参入が不可能でした。B社の担当者は、良い技術を生かすことを考え、B社インド現地法人を紹介し、後は自己努力で商売を成功させることを示唆されます。
実にB社を初めて訪問してから、4年後のことでした。
現社長は勇躍インドに渡るものの、現地の副社長から、
「アジアのいろいろな企業と取引を模索してきたが、ことごとく約束は守られず、期待はずれだった」
「短期間だが、クリスマスの朝までに試作品を製作し、納品する事に挑戦してみるか!」
と言われます。
野口精機はこの課題に果敢に取り組み、高品質の製品を試作し、見事受注を獲得したのでした。その間もドイツへの営業を継続し、数年後にはドイツ本社との取引も実現させます。その一方、大学などの研究機関に足を運び、加工技術や測定技術に関する情報を吸収し、自社技術を向上させるのでした。その上で、B社との取引を深耕し、その各国現地法人との取引を展開、現在ではドイツをはじめとする欧州各国やインドを含むアジア、南米の国々に直接輸出を展開しています。今では、B社本社のプリファードサプライヤーとしても認定されているのです。
なお、野口社長は顧客との「コミュニケーション」の重要性を指摘しています。その1つとして、ドイツに関わる機関や大学に働きかけ、ドイツ文学を学び、ドイツ語の堪能な人材を獲得する努力をしています。社内にはドイツ語、英語、中国語が堪能な国内外の人材が営業部門で業務に従事し、顧客と綿密な打ち合わせと上質なコミュニケーションを可能にしています。
5.「地域」にいながらにしての国際化とモノづくり
以上、国際化した埼玉のモノづくり中小企業3社の事例を紹介しました。どの企業も古くはバブル崩壊、近年ではリーマンショックといった経営環境の急激な変化を機会に、海外企業との取り引きを志向し、国際化していきます。ただし、その方法は大規模な投資による海外生産展開といったものではありません。
- HPでの情報発信方法を工夫する
- 経営者が海外企業を訪問して自社技術をアピールする
- 語学が堪能な人材の獲得に傾注し、海外顧客との円滑なコミュニケーションを実現する
といった細かなことに創意工夫を積み重ねることで、海外企業との取引≒国際化を成しえていったのです。
加えて、東京鋲螺工機とUCHIDAは埼玉県内にしか工場がありません。野口精機も東松山市以外には栃木県に工場があるだけです。前回も述べたように、人件費や住工の混在といったことを考えると、広域多摩地域はモノづくりに大変有利な地域というわけではありません。
しかし、経営者が自社技術を核に創意工夫することで、地域にいながらにして国際化し、国内でのモノづくりを維持・発展させることができるのです。その意味で、この3社の事例はとても示唆に富むものだといえるでしょう。
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