女子力とは「誰かのためになることを考える力」:ママさん社長は30代になってから設計を覚えた(1/2 ページ)
30代になってから機械設計を覚えて10年弱で独立起業した、異色な経歴を持つママさん社長が語った、「女子力」。それは、「誰かのためになることを考える」「痛みを耐え抜く」力!
製造業内の女性技術者の数は、いまだに少ない。長野県内のCADユーザーコミュニティーの「SWCN」の中においてもそれは同様だ。今、SWCNの数少ない女性メンバーが集まり、「女性ならでは」の活動をしようと動き出した。そんな「SWLP」をリードしているのが、Material工房テクノフレキス(以下、テクノフレキス)の代表である藤崎淳子さんだ。
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SWLPは、何らかの形でモノづくりに携わる女性たちで、「女子力」の生かし方を議論し、具体的な活動へ昇華しようと動き出している。ひとまず、長野県内の企業に勤める女性数名を中核メンバーとして活動がスタート。その活動はいずれ、全国へ展開していきたいと藤崎さんは意気込む。
果たして、ここでいう「女子力」とは一体、何なのか? それは、「誰かのためになることを考える力」だと藤崎さんは話す。「あくまで私の考えですが、AとBという異なるモノを見たとき、男性は『AとBをどう競わせるか』と考えるものだと思います。一方、女性は『どうやってAとBを統合しようか。そのために必要なものは何か? 私なら何ができるか?』と考えると思うのです。少なくとも私自身がそうなんです。つまり、それが私の考える『女子力』です。調和や整理整頓、節約……、これらは女子力のなせる業です。そうしたことを常日頃から自然とやってのけることが、女性の素晴らしさではないかと思います」。
SWLPも、そのような女性ならではの特性で現場改善をしていく方法や手段を議論していくことを1つの目的としている。また「ジェンダーフリー」のような「男女平等を訴える」活動ではない。「平等かどうか」ではなく、とにかく双方の能力や性質に違いがあることは明白な事実でしかないのだから、まずそれを受け止めた上で、「どうやって誰かの力になろうか」を考えることだ。
「もう何年か前ですが、『私は男子社員と同じように夜勤をやっているのに、同じように会社が評価してくれないのは差別だ』と私に悩みを打ち明けてきた女の子がいました。その子には、『夜勤なんて、昔から看護師さんはやっているし、ちっとも特別なことじゃないよ。そんなことを差別だと感じる後ろ向きな気持ちがあるのなら、例えば、現場の作業を誰もがしやすいように工夫してあげるとか、ツールやゲージを使いやすく整理するとか、そういう女性ならではの“おせっかい”な部分で貢献して、あなた独自の価値を評価してもらったら?』と言いました。ムスッとしていましたけどね……」(藤崎さん)。
藤崎さんはこれまで、決して順調で穏やかとはいえない経歴を歩んできた。それを力強く支えてきたのが、ここで言う女子力だった。年齢は既に40歳後半。そろそろ、自身の思いを後に続く世代と分かち合い、引き継ぎたいと考えたことが、SWLPを構想したきっかけだった。
もともと図面は読めなかったし、書けなかった
テクノフレキスは「工場を持たない」、いわゆるファブレスメーカーだ。2006年に創業し、半導体設備の実装関連の治具設計を得意としてきた。藤崎さんたった一人で、営業や機械設計、実装、部品加工、組み立てなど、幅広くこなしている。
一風変わった社名(Material工房テクノフレキス)には、以下の意味が込められている。
- Material=素材の概念にとらわれず
- Flexible=柔軟な発想と
- Technique=持ち得る技術
まさに、現状の自分の持つ能力や経験をフル回転し、統合し、厳しい難題を1つ1つ突破して成果を積み上げてきた、藤崎さんのそれまでの人生を表したような概念だ。
藤崎さんは、2012年7月に開催された全日本製造業コマ大戦 信州場所に持ちこまれたSWCNの精密でユニークなコマを設計した本人でもある。こちらは、7つの部品を組み合わせることで、状況に応じて軸の長さを変えられるようになっている。その芯(しん)に使われていたのは、何と、ボールペンの芯(廃材)だった。
業界の中でも稀有(けう)な存在である女性の機械設計者である藤崎さんだが、つい十数年前まで、「『三角法』すら知らなかった」と話す。「初めてその単語を聞いて、図面のどこかに三角マークがあるのかなぁ……、と一生懸命探しました」(藤崎さん)。
藤崎さんが商業高校卒業後に勤めたのは地元の機械商社だった。そこで就いたのは、営業職。当時は設計技術とは縁がなく、機械図面からはなんとなく外形寸法などが読み取れる程度だったという。
結婚後は、勤めていた職場を退職。しばらくは専業主婦として子育てに専念した。しかし長女を出産後、間もなく離婚。購入した自宅のローンを抱え、母子二人で生活をするために再就職し、がむしゃらに突き進んだ結果、いつの間にか設計者になっていたという。藤崎さんは工業系の教育機関で勉強をしたことは一切なく、独学と実務だけで設計や部品加工を習得している。
「生きる糧(かて)を得ること」とは、すなわち「人のために何をするべきか考えて行動し、その結果として対価を得ること」。設計を覚えたきっかけも、「目の前で困っているお客さんの力になりたい」という思いからだった。
マルチにはまった過去
藤崎さんが離婚後の生活の糧として、まず選んだ、もとい……、選んでしまったのが「連鎖販売取引」、いわゆる「マルチ商法(MLM)」だった。
この商法では、ユーザーが販売員となり周囲の知人に口コミしていき会員を増やしていく。販売員は勧誘した会員数に応じてリベートが得られる。その販売組織はピラミッド状の階層構造(ヒエラルキー)になっている。自分の勧誘した誰かが、さらに誰か勧誘し、さらにその誰かも誰かを勧誘し……、という具合に、自分の下にどんどん階層ができていく。階層構造が出来上がれば、配下の者たちが自分の下に利益をどんどん運んでくれる。
藤崎さんは、かつての営業職の経験と持ち前の器用さで、それなりに成果を出し、「ピラミッドの上層」つまり、販売員の組織を束ねる代理店の立場にまで登り詰めた。
「確かに、売っていた製品自体は、非常によい物でした。自分自身も使っていて、心からそう思っていました」と藤崎さんは語る。よい物を、素直に「よい物だ」と紹介して、「これはよい」と評価してもらい、そして買ってもらう。そして、その売りの分だけの対価をもらう。そういうこと自体は、悪いことではない。しかしそのインフラは、配下の販売員からどんどん金を巻き上げて、代理店トップが楽をしておいしい思いをするという、何とも不公平な階層構造だった。
人を喜ばせる活動に見えて、実は、弱い人から搾取していた。
「金銭感覚って、麻痺(まひ)してくるんですよ」と藤崎さん。苦しい生活の中、振り込まれる大金を目の前にしてしまえば、目がくらむ。自分や子どもの生活がより楽になることに越したとはない。せめて子どもが学校を卒業し社会に出るまで、その現実から目をそらし続けるべきなのか……。
いや、「自分の配下にいる大勢の人を不幸にしていること」は、事実。藤崎さんは、ふと「このままではいけない」と我に返る。「足を洗う」決意をし、「カタギの仕事」を探し始めた。
これからはもう二度とたくさんの人を悲しませたりしない。本当の「誰かのためになること」を一生懸命しよう。そんな決意だった。
2ちゃんねるのスレが炎上
その後の藤崎さんは2ちゃんねるで、かつての自分と同様な悩みを打ち明けていた“住人”を励ますため、自身の経験の事実をぼかして小説にし、それを匿名で投稿した。そこで大反響となったが、後に一部の住人たちの批判を浴びてスレッドが炎上してしまい、精神的に非常に追い込まれてしまったそう。ただ、2ちゃんねるについて、藤崎さんは今も至って肯定的で、住人であり続けている。実は、ここに「MAKERS」的なビジネスの源泉が眠っているのではないかと探り続けているとのことだ。
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