マラソンと水泳から学べる流体力学:踊る解析最前線(15)(2/3 ページ)
「マラソンにもスリップストリームがある」「イアン・ソープ選手とスッポンの泳ぎ方は同じだった」――スポーツ科学からみた流体力学の世界とは。
速く泳ぐ方法と、楽に泳ぐ方法
2004年にアテネオリンピックが開催されたころ、伊藤氏は「スッポン泳法」(TBSの番組内で命名)の理論を発表して話題になった。ここに書かなくとも、既に知っていると言う方もいるかもしれない。
スッポンは、普段の“のんびりとした”泳法「最小エネルギモード」(通称「チンタラ泳法」)と、餌を求めるときなどの“速さを重視した”泳法「最大推進力モード」があるという。
後者の最大速度運動は、1ストロークでスッポンの体長の倍ほどの推進力でもって進むという。これを「人の水泳でも応用したら、すごいことになるのではないか!」ということで、伊藤氏は流体力学的な解析を試みた。
簡単に説明すれば、肘を直角にして、進行方向と真逆に水を押すことで、推進力を高める泳法だったのだが、これが、魚雷(torpedo)に引っかけた「Thorpedo」というあだ名さながらの推進力で泳ぐ金メダリスト イアン・ソープ(Ian Thorpe:オーストラリア)選手の独特な泳法(当時)と一致していたということだった。
以下の図は、スッポン泳法のストロークだ。上図のソープ選手の泳法と比較してみよう。
- 肘を直角に立て、進行方向と真逆に水を押すように、真っすぐにストロークする
- 手の平は常に体幹の軸に沿う軌跡をたどるようにし、身体はわずかにローリングさせる
以下は、昔ながらの泳法(S字)のストロークだ。一昔前の学校やスイミングスクールで教えるクロールのストロークだ。この泳法は、水泳研究の第一人者と言われたジム・カウンシルマン氏が1970年代に出版された水泳の参考書内で解説していた。当時の熟練スイマーの典型的な泳法で、無駄がない動作で効率がよい(疲れづらい)とされた。
以下はスッポン泳法(I字)と従来泳法のストロークの比較図だ。並べてみることで、ストロークの違いがよりはっきりと分かる。
従来、水泳の教育現場では手のストロークよりもバタ足を先に教えていたことからも、腕よりも脚の方が推進力への寄与が大きいと考えられてきた。しかし、伊藤氏が解析してみたところ、腕:足の推進力の比率は、10:1〜6:1であり、推進力に対する足の影響は小さいことが分かった。
その中でも寄与率が高いのは、手の平だと言う。以下は、流体中にある翼の揚力(流れに対して垂直に発生する力)と抗力(流れに逆らう力)について説明した図だ。中央に描かれた翼(薄緑色)が、手の平に相当する。
流れに対して逆らうように発生する抗力(D)と、流れに直角に発生する揚力(L:物体が浮き上がる方向の力)、その2つの力による合力(R)を表している。揚力は「ベルヌーイの定理」によって負圧になる(圧力が低い)方に向かって発生する。負圧になるのは、表面積が大きく、流れが速い面となる。
そして、翼の軸の傾き(迎角α)次第で、合力がどのくらい推進力に変換できるかが決まる。もちろん、合力がそのまま推進力になったほうが、無駄がないということになる。
この考え方を泳ぐときの手の平に当てはめた図が、以下。
手の平は、プールの水面に対して斜めに侵入するので、それと反対方向に抗力が発生する。そして、手の甲は弓なりの形に構えているので、フラットな手の平のそばよりも手の甲沿いの方が水の流れが速くなって、圧力が低くなる。つまり、揚力は手の甲の方向に発生する。
水面に侵入することで発生する抗力と、手の甲側に発生する揚力の合力が発生する。推進力は、あくまで進行方向に発生する。つまり、進行方向となるべくぴったりに合力が発生するような手の角度によるストロークが、力を無駄なく使えるということになる。
泳ぐときは、スッポン泳法と従来泳法、どちらのストロークにしても、手を真っすぐに伸ばして、頭の斜め横前方の水面を滑らせるように手を侵入させる。この際には、揚力を使って手を沈めている。
スッポン泳法は、肘をしっかり立てることで、水中に入ってすぐに、進行方向と真逆に手の平を向かわせるように意識する。つまり揚力のアシストをあまり当てにせず、とにかく抗力をダイレクトに推進力にしようと試みている泳法ということになる。
一方、従来泳法は、手の甲に発生した揚力に任せて水面に手を沈め、ある程度沈みきったところで抗力を発生させるように手をかいて、その後、手の甲が向いている水中方向に発生する揚力にアシストさせて手を抜いているということになる。
関連:飛行機が飛ぶ基本原理
ちなみに、飛行機が飛び続ける基本原理は以下。飛行機はエンジン噴射による推進力で上空に上がった後は、機体や翼の形状で作られた圧力差(上側が負圧になるようにする)から生じる揚力に乗って飛び続ける。空気はフラットな面のそばを通るより、曲面のそばを通る方が流れが速くなり、かつ圧力が低くなる(流速が速いほど、圧力が低くなる)。飛行機のボディや翼も、この原理にのっとった基本形状をしていることが分かる(もちろん、それ以外のさまざまな流体力学の理論が応用されている)。
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