技術者が“サラリーマン経営者”を見限るとき――躍進する中国自動車産業界を支える“侍エンジニア”:井上久男の「ある視点」(2)(1/2 ページ)
日本では新興国への技術流出を懸念する声が上がっているが、視点を変えてその背景を見ると、むしろ日本の抱える課題が浮き彫りになってくる。
日本人技術者の劣化が始まっている!?
かつて日本から韓国の造船業に人材が流れ、続いてサムスン電子やLGエレクトロニクスなどの電機産業にも日本のエンジニアが渡った。在職中にアルバイトとして出向くケースや、早期・定年退職した人材が新天地を求めて渡るケースなどさまざまであった。韓国企業は貪欲に日本から技術を学び、実力を付けた。今や、造船業では日本を追い越して世界一となり、電機でもサムスンはグローバル戦略でソニーやパナソニックなどを凌駕(りょうが)している。
なぜ、日本のエンジニアが海外に渡るのかについて、筆者は、大手電機メーカー出身で韓国に渡って技術指導していた日本人にインタビューをした経験がある。いずれも、
「日本は経営者がリストラばかりをするので、自分たちの居場所がなくなった」
「定年間近になって、やりがいのある仕事を任せてもらえなくなっていたときに、『あなたの力を借りたい』と誘われて心が動いた」
といった理由からだった。
この現象を端的にいうならば、日本の経営者が人材を使いこなし切れなくなったということではないだろうか。「iPhone」など米アップルからはヒット商品が生まれているが、日本企業からは生活スタイルや社会そのものを変えてしまうようなヒット商品やサービスが生まれにくくなっている。この原因も、経営者がエンジニアを使いこなせていないために、技術と市場を結び付ける力が日本企業から落ちているからだと筆者は感じている。
中国・IATの躍進を通じて見る日本の技術者
造船、電機ときて、多くの雇用を抱える日本の基幹産業の「最後の砦(とりで)」といえる自動車産業でも中国への「頭脳流出」が増えた。早期・定年退職したエンジニアが新天地を求めて中国に渡っているのだ。その日本人エンジニアを上手に活用している中国の阿爾特(アー・アル・トゥ)汽車技術(以降、略称のIATと略記)に筆者は昨年(2010年)と今年(2011年)の2回訪問し、関係者に話を聞いた。
その取材を通じて浮かび上がったことは、前述したように、日本の経営者がエンジニアを使いこなせていないことと、意外にも優秀だと思われていた日本のエンジニアの劣化が始まり、中国企業から「日本人不要論」も出始めかねない状況にあるということだった。
IATは北京市の中心部から車で約30分の郊外、経済技術開発区内にある。中国の自動車メーカーがモーターショウに出すコンセプトカーの企画・開発・生産を請け負うほか、市販車の企画・開発・実験・試作もビジネスにしている。量産部門を持たない自動車メーカーである。
電気自動車(EV)ビジネスにも力を入れており、日本企業と提携して上海近郊でEVの主要部品の量産工場を稼働させる計画だ。この主要部品を「量産キット」として自動車メーカーなどに販売し、EVを簡易に組み立てられるシステムを築きたい考えだ。
最近では、予想外に日本メーカーからの設計委託などの仕事も増えている。どこの企業系列にも属さない中立性が評価されているという。
昨年(2010年)、筆者が訪問した際には、本社と試作工場の2棟しかなかったが、今年(2011年)訪れた際には、近くの空きビルを借りたことでわずか1年の間に4棟に増えていた。新設されたEV事業部では海外メーカーからの依頼を受けてEVへの改造事業も手掛けていた。
IATグループ全体でも従業員は約800人。そのうち80人ほどが外国人だ。大半が日本人だが、韓国人も増えているという。三菱自動車工業(以降、三菱自動車)を早期・定年退職したエンジニアが中心であり、日本にオフィスも持つ。IATの事実上の創業者である宣奇武(Xuan Qiwu)会長は胡錦濤国家主席らを輩出し、理系エリートが集まる清華大学でエンジン工学を学び、第一汽車(中国第一汽車集団公司)で5年間勤務した後、九州大学大学院に留学して博士号を取得。三菱自動車に就職して1998年から2004年までエンジン研究部に在籍した。
2004年に三菱自動車を退社し、日中の人脈を駆使してビジネスを展開している。2009年には中国で「海外経験者優秀10人」に選ばれ、政府の自動車政策のアドバイサーも務めているという。また、IATには日本のベンチャーキャピタルも出資しており、近く上場を計画しているという。
「北京を本拠地にエリートを集めてグローバルな目で新しいアイデアを発見しよう。そして世界の一流会社になろう」と書かれたスローガンも社内に貼られている。
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