CAEが助けたハイブリッド車の鍛造用金型製:経済研究所 研究員は見た! ニッポンのキカイ事情(3)(1/3 ページ)
経済研究所の研究員が、さまざまな切り口で加工技術や現場事情を分かりやすくレポートするシリーズ。よりよい設計をしていくために、加工事情について知識の幅を広げていこう。(編集部)
機械振興協会 経済研究所の山本です。春の暖かい風が吹き始めましたが、いかがお過ごしでしょうか。わたしは年度末の仕事が終わり、少しゆっくりしているところです(本当か?)。
さて、わたしは機械振興協会 経済研究所に研究員として採用されたときに、たまたま「金型産業」を自分の調査対象に選択しました。当時は業界のことなんてまったく分からない大学院上がりの青二才でした(笑。いまは分かっているのかな?)。それ以来、さまざまな方々にご指導いただきながら、何とか仕事を続けているうちに中小企業、基盤技術産業全体に興味と調査の対象が広がって現在に至ります。
本連載3回目では、自分の原点である金型企業、中でも次世代自動車産業や海外市場に積極的に参入している「ヤマナカゴーキン」を取り上げたいと思います。
1.これからは自動車の時代だ!
皆さんは「金型」と聞いて何を想像されるでしょうか。金型というのは「素材に形状を付与するための金属の『型』」で部品を量産する際に必要不可欠な道具です。わたしがまだ、金型のことも何も分からないころ、ある方から「たい焼きを作る型を想像しなさい」といわれた記憶があります。当時はその説明で何となく理解をしました。例えば、自動車部品もその多くが金型で形状が付与されます。つまり金型産業は、日本の自動車産業の国際競争力の基盤だといえるでしょう。けれども、金型というと薄暗い町工場の中で職人さんが黙々と加工をしている、そんなイメージがまだまだ一般的なような気がします。
いま、国内ではハイブリッド車やプラグインハイブリッド車、電気自動車といった次世代自動車産業が連日のようにマスコミに取り上げられています(例の、北米での問題は心配なところですが……)。「東京モーターショーのきらびやかなスポットライトの中で華やかに宣伝される次世代自動車」と「薄暗い町工場のイメージが強い金型企業」、この2つは一見、それぞれ別世界のように見えてしまいます。しかし、次世代自動車にこそ日本の金型企業が持つ超精密加工技術が必要とされているのです。今回訪問する超精密鍛造用金型企業 ヤマナカゴーキンもその1つです。
同社は1961年に現代表取締役会長の山中 政夫氏が東大阪市で創業された企業です。今回は東大阪の本社ではなく、同社の主要生産拠点である千葉県佐倉市の東京工場を訪問します。創業者の山中氏はもともと、ある超硬素材企業の技術者で、その技術力を元手に独立しました。東大阪市は数多くの中小企業が集積する町として有名です。当時、東大阪市の中小企業の多くは弱電産業に部品を供給していました。
ところが山中会長は、
「これからは自動車の時代だ!!」
と考え、昭和40年代半ばには大手自動車企業2社に対して、初めは治工具、後に鍛造用金型を供給するようになります。その後、高度経済成長期、バブル景気の波に乗り、同社も規模を拡大していきます。バブル崩壊前、1990年には従業員数が190名にまで拡大しました。これは日本の金型企業としては異例の大きさだといえます。
2.下請に甘んじているわけにはいかない
ところが、バブル崩壊の影響がヤマナカゴーキンに大きくのしかかります。同社の売り上げのほとんどすべてを上記の自動車企業2社に依存していたこともあって、受注が大幅に減少する事態に陥りました。当時、開所したばかりだった名古屋工場を閉鎖し、従業員数も190名から150名まで減少します。こうした経営危機の中で、同社はいわゆる下請企業的な企業体質を大きく方向転換させ、新たな受注獲得に踏み出すことになったのです。
ただし、それはそんなに生やさしいことではありません。当時の同社を物語るエピソードをいくつか紹介しましょう。同社現社長は1990年代半ばに、韓国企業から自動車部品の受注を獲得しようとしたのです。
ところが、現社長はそこで、
「自動車部品の工程設計を行う力がない」
ことに愕然(がくぜん)とするのです。
それまで、同社は受注先から詳細な図面を与えられたうえで、精密な鍛造用金型を製作してきました。その際も設計は行っていたのですが、金型はあくまで一品モノです。そのため、量産を前提とする自動車部品の工程設計は同社にとって未知の領域だったのでした。同社はあるプレスメーカーと取引することで、徐々にそうした工程設計能力を獲得していきます。
しかしせっかく、新規受注を獲得しても、
「大手自動車企業2社の仕事さえやっていればいい」
「そんな仕事はやらない」
といった声が製造部門の管理職から挙がってくるような状況でした。当時、同社は企業規模が比較的小さいにもかかわらず、製造部門、技術部門、営業部門で相互にほとんど交流がない典型的な縦割りの組織だったといいます。せっかく新しい仕事を取ってきても、「設計が動かない」「製造が動かない」では営業は心労にさいなまれ、揚げ句の果てに受注先に平謝りといったことになってしまいます。これでは誰も新規受注に見向きもしなくなります。
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